梁塵秘抄は後白河法皇(1127~1192)が編んだ平安時代の主として
今様とよばれる七・五調の歌詞の集大成である。
記譜はなく、歌い方も伝承されてない為に音楽としての面は不明である。
梁塵秘抄の作られた時代は貴族権力の崩壊直前の時期であり、貴族たちの
文化の中心は和歌であったが厳格な制約を和歌の領域では殆んど動きの
とれないほどまできており、文化の衰退を今様などの貴族文化の外部に求める
外なかったのである。法皇はじめ貴族たちは好んで今様を謡ったが、法皇は
白拍子、遊女、傀儡子を宮廷内に呼んで今様を謡わせた。又法皇は70歳弱の
老遊女乙前を探し出し宮廷内に住まわせ12年間に亘って彼女に師事したのである。
義経の妻静御前が白拍子であったことは以上からみても納得の出来ることであり
、彼女たちが極めて天皇と近い距離にいたことが分かる。
鎌倉前期には白拍子奉行人という役職ががあった。彼女達は検非違使庁や細工物、
造園業者他多くの職人集団と並んで天皇に直属する女性職能民であり社会的地位
も低くはなかった。
梁塵秘抄その一部は今様その他の歌詞を集め、第二部は後白河法皇の今様について
の意見感想を記した覚書である。
第一部は仏教に関わる歌詞が多い一方、日常性を謡う歌詞の中には女心や性的な
歌も又多いが、貴族階級にはない直截な表現がなされており、法皇や貴族たちには
極めて新鮮な驚きを与えたことと思われる。
天皇直属の各集団は関所通行の関札を許されており天皇にとっての各地の情報の
有力な源となっていたのではないかと思われる。
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