アーサー・ウェイリーと源氏物語

源氏物語の書籍

儒教が強い影響を与えていた徳川時代は源氏が勧善懲悪の物語といわれるようになっていたが、一方本居宣長の解釈では「時代の有様を有りのままに写し出した写実小説としての論語や孟子と同じ基準で考えるべきではない」と述べている。
しかし近代まで古典の文学作品としては認めるが平安時代の道徳観は批判すべきで、当時の女性は品行が乱れて倫理地に落ちた時代で、教科書に載せて読ませる等は好ましくないといった評価が日本に横行していた。
英国人アーサー・ウェイリーは物語の道徳性より、その作品の文学的価値の方がはるかに重要であると考えていたと思われる。
ウェイリーは大英博物館に勤務し、中国を中心とした東洋文化を担当していたが、源氏物語を原文で読み通した最初の西欧人であった。
彼が足掛け11年の歳月を費やして翻訳を終えたとき「戦争と平和」「カラマゾフの兄弟」の実に2倍の長さになっていた。登場人物は430人を超え、物語は75年に亘って展開する壮大なる長編小説の西欧におけるデビューであった。
1922年にはジェームス・ジョイスの「ユリシーズ」が出版され、同年モンテクリーフ英訳によるプルーストの「失われた時を求めて」第一巻が出版され、一大センセ-ショナルを西欧に起こしたのである。
20世紀文学の社交界に対する関心、美に対する深い感受性、人物の内面を掘り下げる描写、そして意識の流れが特徴であるが、源氏物語は意識の流れこそ書かれていないが20世紀文学に違和感のない大文学として評価されたのである。
ウェイリーは源氏物語の多くの箇所は、刊行が始って間もない「失われた時を求めて」の中に挿入されてもそれに気づく人はいないだろうと述べている。

現に源氏が夕顔と陋屋で一夜を共にし、明け方近所で物を売る声や女房たちが砧を打つ音等が聞こえてくるくだりとマルセルが恋人アルベルチーヌと街の市場を通るとともに聞くざわめきは非常に類似している。

ウェイリー訳の源氏物語は「戦争と平和」「カラマーゾフの兄弟」「失われた時を求めて」等と並ぶ大小説と言う海外の評価を持って日本に逆輸入されてきた。
正宗白鳥はウェイリーの英訳を読んで「源氏物語とはこんなに面白い小説だったのか」と述懐しているが、これで世界の12の指に入る大文学小説とした評価が日本でも定まったと言える。
日本の現代語訳は与謝野晶子、谷崎潤一郎、円地文子等あるが原文の優雅さ、文体の美しさを伝えようとするためか回りくどく、もったり感を読者に与えてしまう感があるが、ウェイリーは源氏を英文学として再構築して、見事に成功した類稀な例と言える。今日の源氏物語ある最大の功績者と言えよう。
文庫本で54帖の内23帖まで読了したが、英文からの翻訳であることを考慮しても、流れるように書かれ実に読みやすく整理されおり、西欧人が20世紀文学として愛読したことが好く理解できる。