方丈記(鴨長明)を読む

方丈記

方丈記は平安末期に於いて5段からなる随筆である。
「世上乱逆追討、耳に満つと雖も之を注せず、紅旗征戎吾事に非ず」と芸術至上主義者としての旗幟を明らかにしている若き定家と、安元3年4月28日の京の大火災をとらえる長明の眼は全く異なり、彼は現実主義者であり、その記述の具体的なことは、一応風がおさまってから実際に京の町を歩いて実況見分したのではないかと思われるのである。
この後白河法皇の時代は大風が吹き、地震が頻発し、火事が連続し、大雨、冷害等による凶作が続き、仁和寺の隆曉法印は飢饉による死者を「死者の額に阿の字を書いて縁を結ばしむ」として京都の死者の数を数えている。今日は何人、一昨日は何百、何千、昨日は一万何千何百人と2ヶ月に亘って数えて実に4万2千3百余の屍の数を数えている。
都も民家も何度も焼け、僧兵狼藉、群盗横行、飢饉、悪疫が全国的に拡がり政治世界では源平両氏の登用、保元の乱、平治の乱、福原遷都と混迷を深めていたが、一方和歌は世界の文学史上稀なほど洗練された形式美に於いて最高度に達し、この混迷の中で俊成は勅撰和歌集を編纂し、また法然、親鸞という大思想家、宗教者を生み出している。
 
さて今日の日本をみると一千兆円に及ぶ国債残高、福島原発の人為的大災害に全く反省ない政府及び経済界、憲法9条を始めとする内容の改悪の流れ、多発する地震、津波、竜巻と続き、次に大地震が襲ってきたら数箇所で原発の事故が発生するは不可避であろう。
平安末期の方丈記に書かれた末世は現代に再現しているようである。
ヨハネ黙示録にある七つのラッパを天使に吹かせ釜の蓋を開けさせて、政府は地球を滅ぼすつもりであろうか。このような絶望的な現実の中でこそ、新しい社会への芽が出る可能性も又あることを信じたい。