クオ・ヴァデス 1952年 米 マーヴィン・ルロイ監督
史上空前の大作制作費650万ドル、ライオン63頭、エキストラ3万人、マーヴィン・ルロイは大衆派監督でこれだけの大作を手掛けるのには荷が重すぎたのではないか、彼には1940年のメロドラマ「哀愁」のような作品が合っているように思われる。ただリジア役のデボラ・カーは演技はともかく美しい(スコットランド生まれ)当時31歳。相手役のロバートテイラーは41歳典型的な二枚目だが大根役者でマッカーシズム吹き荒れた時代に反共的言動で有名になった。ネロ役のピーターユスチノフが型に嵌って好演しているのがうれしい。
映画はネロを単なる気まぐれな暴君とのみ描いているが、治政の当初はストア派のセネカの適切な後見もあって前代の解放奴隷の重用や売官の幣を改め元老院の権限を尊重し見るべきものもあったのである。
前皇帝クラウデゥスの娘オクタヴィアと離婚し将軍オトーの娘ホッペアと結婚したところからセネカも退けられ、政治は次第に破局を来たすようになる。人心は彼を離れてついにガリアで反乱が起き、その流れはヒスパニアに拡がり総督ガルバがローマ市に進軍するに及んで元老院、ローマ市民そして近衛兵までもガルバに傾きネロはローマ市を逃れて自殺する。
ネロを一面的に描き出すと人間が平面的になって現実感が乏しくなる。
そこで主人公ローマ将軍マーカス・ヴェネキウスである。生粋の軍人で男性中心主義者である彼がその立場も、考えも捨ててキリスト教徒のリジアとこれからの生涯を共に歩むということは自分の過去を全面否定することである。これに関して観客を納得させることに力を注いでおらず、極めてご都合主義的な成り行きに任せているようである。皇帝妃ホッペアと爛れた愛欲生活を送っていたマーカスが彼の内部に何が起こって自己改造を行ったのかが描かれない限りただのスペクタクルで観客の目を驚かし、中身のない作品となる以外にないのである。当然メロドラマ作品監督マーヴィン・ルロイに責任の大半はあるがマーカスを演じたロバート・テイラーにそれを期待するのは始めから無理と言うべきかも知れない。
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