「誰がために鐘はなる」マリア役のイングリッド・バーグマン、ロバートジョ-ダン役のゲリ-・クーパ-

イングリッド・バーグマン
イングリッド・バーグマン

1943年米サムウッド監督「誰がために鐘はなる」
映画はバーグマン28歳の作品
ヘミングウェイのベストセラーの映画化で、スペイン内戦を舞台に現地の娘と米義勇軍のラブロマンスである。

1936年2月総選挙で「人民戦線」が勝利、フランコ将軍は同年7月ドイツ、イタリヤのファシスト国の援助を受け反乱を起こし「人民戦線側は当初有利であり、多くの国から義勇軍の参加があったがフランスのレオン・ブルム「人民戦線」政府の及び腰と英国・チェンバレン政府の宥和政策等あり、やがて両国の国民の人民戦線への参加、援助は禁止され国際旅団の解散を36年10月決定。そうした中で共産党議員で議会の議長でもあったドロレス・イバルリの「奴等を通すな!」を合言葉にして戦った人民戦線であったが国際的援助もないまま39年3月ついにマドリッド陥落によってフランコ等によって「人民戦線」は圧殺された。その後長きに亘ってフランコの軍事独裁政権は続くことになるのである。
 
バーグマンとロッセリーニ
1945年秋「無防備都市」を見たバーグマンはこのイタリヤネオリアリズムで草分けと言われるハリウッドでは見ることが出来ない鮮烈な主題であり映像であった。
ロベルト・ロッセリーニ監督に使われてみたいと思った彼女は1948年春再び「戦火のかなた」をみて衝撃を受けロッセリーニに手紙を書くのである。
「親愛なるロッセリーニ様 貴方の2作を見ました。もしスェーデン女優が必要でしたら私は出掛けて行き貴方と映画を作る用意がございます。私は英語は堪能でドイツ語も忘れてはいませんがフランス語は全く忘れ、イタリヤ語で知っているのはIi・Amだけです。尊敬をこめて イングリッド・バーグマン」

ロッセリーニは直ぐ電報を打つ「オテガミタイヘンカンドウイタシマシタ。中略ワタシモアナタトエイガヲツクルノハユメデス。ユメガデキルダケホンモノニナルヨウドリョクシマス。カンシャトソンケイノキモチデイッパイデス以下略

しかしアメリカは46年秋のダレスの鉄のカーテン云々の演説以来47年3月アメリカ合衆国下院非米活動委員会を設置し反共の嵐が吹き荒れロッセリーニを排除する動きが厳しくなった。
 
ロッセリーニは妻がおり一子を儲けていたがバーグマンは夫の反対を押し切ってイタリヤ行きを決行する。イタリアから夫に離婚届を送り、夫と子供を捨ててロッセリーニと同棲、ロッセリーニは妻と離婚。
  1950年ロッセリーニ監督で「ストロンボリ」に出演
  1951年   同上    「ヨーロッパ1951年」に出演
この2作を含めてロッセリーニの才能は枯渇したかのように輝きが失われ、それと共に2人の間に亀裂が入って関係は壊れていった。1958年バーグマンは3度目の結婚によってロッセリーニと決別した。