頼山陽は家庭の内に女中から昇格させた妻があったが家の外に江馬細香という女流詩人の恋人があり、この2人の関係は公然たるもので、山陽の妾ではなく、独立した一個人として生きていた。当時彼らの関係を非難したものは彼等の社会のなかにはいなかった。
当時は清朝の袁随園の唱える性霊派の詩風が日本の文壇でも流行し、多くの日本の漢詩人たちがその詩風に転じたのである。日常生活の小さな平和と老年のささやかなノスタルジーを書き、細部の繊細なレアリズムをうたい、鋭い感覚的表現を行った。六如上人、菅茶山、市河寛斉、柏木如亭、大窪誌佛等感覚的洗練のすぐれた作品を多く残しているが、これも時代の変化を敏感に反映していると言えるだろう。
中村真一郎はこれら頼山陽と同時代の江戸の漢詩人の作品を数多く取り上げて論評を加えているが、彼が漢籍に造詣が深かったればこそであり、今後の作家がこうした史伝を書くことはそうした点からもなかなか困難となるのではなかろうか。
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