のっけから「神州天馬侠」吉川英治が出てくる。うれしい、読み物としては余人と異なり流石は吉川英治で子供むけの本とは言いながら話の作り方、場面の展開が面白く物語の楽しさを堪能させてくれたことを覚えている。
小学5年の頃に読んで「龍虎八天狗」とセットで今も鮮やかに思い出す。
哲学者木田元の少年の頃の読み物と半分程は重なっているようである。「神州天馬侠」今も書店で売られており、近年懐かしさのあまり買い求めて読んだが昔の感激を味わうことは出来なかった。矢張り読むべき時に読むものが常套であろうか。木田元はやがてドストエフスキーと出合い「罪と罰」のラスコーリニコフ、「カラマーゾフの兄弟」のドミートリー、イワン・アリョーシャ、スメルジャコフ等登場人物はみな彼と同世代に近く強く共感している。中でも悪霊のスタヴローギンは強烈だったようだ。
次にキルケゴールに惹かれたがドフトエフスキーと共通点もある。共にヨーロッパの辺境に生まれ、一時中央ヨーロッパに出かけるが西欧文化に失望して故国に帰り、キルケゴールは原始キリスト教に、ドフトエフスキーはロシヤ正教を拠り所に西欧化の企てた点である。ドイツの哲学者ハイデッカーが2人の影響を受け「存在と時間」という本を書き、無神論的立場から人間存在をその時間構造に即して分析しているのを知り、哲学を目指して大学に入学する。
農林高校時代全く勉強してこなかった木田元は入試科目英語を高校一年の弟の教科書を読んで全く分からず、中一の教科書から勉強し直し、独力で2~3年生の分も含めて単語も学習、2~3週間で終了、入試まで短期間で高校3年分もこなし、その間単語一万語も暗記して、抜群の成績で合格していることにただ驚くしかない。
高校生の多くが読むドフトエフスキー、トルストイを私も読みジロドウ、ブレヒト、サルトルの戯曲も読んできたが、カントの「純粋理性批判」に挑んで見事に跳ね返された。全く理解出来なかった為放り出して以後哲学に近づくことはあきらめた。
木田元は大学一年目にドイツ語、二年目にギリシャ語、三年目にラテン語、大学院一年目にフランス語と次々にこなしていった。ドイツ語の学習は毎日8時間行ったという。目的意識の高さが根底にあるからである。
ヘーゲルの「精神現象学」を読んで”血湧き肉踊る”というように感じたとあるが矢張り懸命に努力しなければこうした至福の楽しさは味わうことが出来ないのだとつくづく思わされる。
更に嬉しいことは愛読した本の中に山田風太郎の「警視庁草紙」「幻燈辻馬車」「明治断頭台」があることである。
何れも明治の初期虚実入り混じった人物を配置し、読み物としてもこんな面白い小説はないからだ。木田元という哲学者が読者に気を遣い、楽しく読んでもらう配慮に満ちていることが良く分かる非常に好感の持てる一冊である。
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