政党の変遷と現状・在り方

11月27日朝日新聞記事に後房雄名古屋大学教授の記事掲載される。

『イタリヤ共産党は(ソヴィエト政権崩壊後)西側最大だったかが左翼民主党と名を変え、95年には自由民主革命というスローガンを打ち出した。小選挙区制度のもとで中道左派は政党連合を組みベルルスコーニ率いる中道右派を破ったのです。これこそ政権交代のある民主主義だと思いました』

 

『社民党や共産党は民主党と共倒れになる小選挙区部分が都市部にかなりあるのに、候補者を立てて自民党を利することを平気でやる「民主主義のゲーム」のルールに乗らなければ政治にかかわらないのに同じ』と断じている。
 
『旧社会党共産党には良い人材がいた。もし自己変革して二大勢力の一角を担うことを目指していればもっとまともな民主党が生まれた可能性があると思います。社会、共産両党が政治的遺産を残さないままで瓦礫の上に寄せ集めで民主党はつくられました。もろいのは当然でしょう・・・・無理に合流して急ごしらえの党を作る必要はなく、政党連合の戦略が必要で選挙前に政権選択肢を用意することが大切』と述べている。

 

イタリヤ共産党の自己変革を見習うべきとの主張である。日本共産党にもその機会は何度かあった。1970年代に日本に広がった革新自治体の急速な増加と衆議院議員の増加である。また1991年ソヴィエト連邦の崩壊の時にも西欧の共産党がユーロ・コミュニズムを掲げて自己変革したなかでチャンスはあったが自己の党に固執して機会を逃したのである。
 
政権をとらない政党はネズミを獲らない猫であるというが、現状を一歩でも前進させるために大胆に自己を変えていく努力が求められたのであるが、その努力が著しく不足し今日の保守潮流に対抗する軸を作れなかった責任は大きいのではないか。共産党の名前も変更しない頑なさは、社会主義革命を今だ放棄しないと当然受け取れ、なれば目指す社会主義はどんなものか説得力をもって明らかにする義務があるのではないか。
 
さらに12月3日日経新聞夕刊に以下の記事が掲載された。

『イタリヤの民主党を中心としする中道左派は12/2首相候補を決める予備選挙の結果ピエルルイジ・ベルサニ民主党書記長がフィレンツェ市のマッテオ・レンツィ市長を破った。民主党は来春に予定されている総選挙の世論調査で最も高い支持率を集めており、ベルサニ氏は次期首相の有力候補に躍り出た。ベルサニ氏はイタリヤ共産党の出身で政界再編を終えて2009年から民主党の書記長に就いた』
 
1991年のソ連崩壊よりユーロ・コミュニズムの路線を経て現実路線を選択したイタリヤ共産党のあり方に正解の例があるように思われる。