友人であった編集者及び翻訳者としての高橋祐次郎さんの死亡から13年が経過53歳の若さであった。氏とは5年程の交流であったが、ドイツ文学を始めとした文字、クラシック音楽に対する造詣の深さには会話の都度驚かされた。
今日、満子夫人より高橋祐次郎遺稿集が送付されてきて、その中に森岡巌氏の追悼の辞で彼を気むずかしい皮肉屋で自信の塊のようでその一面コンプレックスの塊のようなところもあってしゃれっけがあると思えば、どことなく田舎者で素朴で抜けていて愛すべき稚気をたたえ純情で愛嬌もあり知識欲旺盛、鼻持ちならぬディレッタントと語っているが、彼の人間性を余すところなく現している。
戦場ケ原を一緒に歩いた事、延原武春指揮のテレマン室内管弦楽団の音楽会の後、くじら屋で獺祭を飲みながらくじらのベーコンを食べた事、ボンへファーの話題の途中にテールマンの名前が出て驚いた事、新築祝いに聖書旧聖書続編つき及び新旧聖書、文語訳の大部の2冊を無神論者の私に贈られた事、凝り性で筆記用具、靴、鞄に高級品を使って自慢たらしかったこと、常識人とはとうてい言い難く常識は内田康夫の小説で理解するのだと言って私を呆れさせた事、病気の悪化に伴いノンアルコールのビールを飲んで私を悲しませた事等を思い出せば実に気持ちの良い愛すべき男であった。
ボンへファー/マリーア(婚約者との往復書簡集)を三浦安子氏と共同で翻訳し彼の熱意が読む者を熱くうつものがあり、これからボンへファーについての研究に本格的に取り組むことが伝わってきたものであり惜しみても余りあるものであった。
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