王者はタボリス・クラウド、リングネームは雷、31歳、米国、戦跡は24戦全勝 内19KOである。
対戦者はバーナード・ポプキンス、リングネームは死刑執行人、米国、48歳、戦跡は62戦52勝、32KO、6敗2分、2無効試合である。
試合は当然全勝強打のチャンピオン断然有利とみられた。クラウドは比較的小柄で相手の内懐に入り込んで左右の強打を振るい打つごとにスピードを上げてくるハードパンチャーであるが老獪なポプキンスはそれを許さない。左ジャブを的確にヒットし時折強い左ストレートを打つ。相手が打ち気とみるや巧みに打ち気をそらしはぐらかす。またいつでも打つぞという姿勢を示しながら適度に休むこともしてスタミナ温存にも余念がない。入り込まれたらすぐにクリンチで止める。
クラウドは相手にペースを取られ弱いながらもジャブを受けるが、自分の自信あるパンチはさっぱり当たらない為にいら立ち、空回りを始めてずるずるとホプキンスの術中に嵌ってラウンドは過ぎて行き、試合運びのうまさでポイントを失って行くのである。
結果は大差の判定で敗れる事となった。
ホプキンスは自身の持つ46才での戴冠を上回って48才での戴冠はボクシング界での新記録となった。
ホプキンスは一貫してミドル級で戦ってきた。戦跡はプロ初戦で敗北、1993年V・ロイ・ジョーンズとの王座決定戦で敗れた。一方ロイ・ジョーンズはスーパースターへの道を駆け上って行き、ついにミドル級チャンピオンのまま20kg以上の体重差のあるヘビー級の王者ジョン・ルイスと戦い圧倒的な差で判定に下すのである。
あまりの強さに昼はプロバスケットの試合に出、夜はボクシングのタイトルマッチを行うなど、文字通りのエンター・テイナーとなっていた。
一方のホプキンスの人気は上がらず、1995年4月IBFの王者セグンド・メルカドを7回TKOに下し王座につき、2004年4月WBCのキース・ホームズを判定にし2団体統一。
一方のフェリックストリニダートは天才型のハードパンチャーで1993年6月ウエルター級IBF王者モーリス・ブロッカーを2回KOに下して20歳で戴冠するや、連戦連勝天才の名をほしいままにし、1999年共に全勝対決となった人気者オスカー・デラボーヤを判定に下し2000年3月WBA、Sウェルター級王者でオリンピック金メダリスト全勝のディビット・リード、リングネーム・アメリカンドリームを4度のダウンを奪う圧倒的な判定勝ちを収める。
2000年12月IBF王者で元気者のハード・バンチャー・フェルナンド・バルカスを12回TKOに下して2団体統一。 2001年5月にはWBAミドル級のウィリアム・ジョッピーを5回TKOに下した。
2001年9月ホプキンスを3団体のベルトをかけて対戦した。ミドル級の頂上決戦である。
ホプキンスは予想外の正統派のボクシングを展開し圧倒的な力でトリンダートを追いつめ、12R、KOに下して3団体統一を果たす。
2004年4月には人気者デラボーヤの挑戦を受けるが試合を優位に進めて9回ボディーへの一発でデラボーヤをマットに沈めKOに下した。リングに登場するときは必ず覆面を被り、死刑執行人のリングネームをそのままに狡い試合運びと強い悪役を演出して人気は盛り上がることはなかったが、この試合で一躍スターダムにのし上がった。時に39才、皆とうの昔に引退する年令である。
ミドル級は20回の連続防衛を果たしたが、21回目の対戦相手の若きジャーメイン・テイラーのスピードとテクニックに2試合とも僅差の判定敗けでSミドル級に転向、英の全勝王者ジョー・カルザゲに挑戦するも判定敗けでホプキンスも終わりかと思われたが2011年にLヘビー級の全勝ジャン・パスカルを判定に下して史上最年長の王者になった。
時に46才、そして今回の快挙である。
30才台は強打とスタミナ、体力にまかせて相手を捻じ伏せるタイプでセオリーなしの一発パンチャーでお世辞にもうまい選手とは言い難かったが40才台に入ると相手の弱点を良く分析し、自分の長所と照らし合わせて戦略を練り、若い頃から巧みであった防衛技術を磨き、相手に打たれない試合を行い、試合全体を巧みにコントロールするすべを見出して闘う 、又、無理な減量をせずにナチュラルな体重で闘うこともこの偉業のもととなったと思われる。
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