「三国志曼茶羅」を読む  井波律子著

中学生の頃吉川英治の三国志を読んで以来久方振りに関連する井波氏の本である。

先ず、三国志全体の構成や位置づけが整理されているのがうれしい。

曹操がどのようにして大国魏をつくりあげたのか。宦官派と清流派知識人の対立があり、宦官派の絶大な力の前に清流派の有力者達は弾圧され獄中にあった。

184年貧窮にあえぐ民衆の圧倒的な支持を受けて道教の一派「大平道」の教祖張角が数十万の信徒を率いて一斉に蜂起し、その勢いはとどまることを知らず、中国全土は大混乱に陥った。

後漢政権は獄中の清流派知識人を釈放したが、弾圧に尖鋭化した清流派が黄巾軍と連合することを恐れたからである。知識人レベルと民衆レベルが手を結ぶことはとりもなおさず漢王朝の崩壊につながるからに他ならない。この釈放によって宦官派と清流派の妥協が成立。分断された黄巾軍は漢政権に破れる。この戦で功績のあった曹操は次第に実力を現しはじめ清流派知識人の多くを陣営にとり込み、また多くの人材を吸収して陣営を整えていく。破れた黄巾軍にも積極的に働きかけ、遂に30万の黄巾軍を味方に引きいれて、一大勢力となり天下取りの体制は整うのである。三国のなかでも最大強国となった蜀に対し孔明の活躍によって蜀と呉の同盟は成立、赤壁の戦で曹操百万の軍を撃破することで曹操の天下統一の野望は一頓挫するが依然として最強国は維持し続ける。

しかし、曹操亡き後暗愚な曹丕の施政に人心は離れ、魏内に取り込まれていた清流派中心司馬懿(シバイ)、長男司馬師、弟司馬昭の司馬一族によって魏王朝は簒奪される。司馬一族の支配下に下った魏王朝は蜀、呉も平定して晋王朝を築くことになるのである。いづこの王朝も強国も内部から崩壊するのが慣わしとはいえ、その典型的姿が魏の崩壊によく見られる。