後漢中平2年(185年)の刻 (郃陽令曹全碑)とも言う
県の長官として黄巾の乱を平定するに功あった曹全の功績を称えた存命中の頌徳碑である。ながく土中に埋没していた為に出土当時は傷が殆ど無く、完全な姿をとどめていたがまもなく断裂を生じて文字の幾つかは損失していった。
注1) 黄巾の乱
184年貧しい民衆の圧倒的支持を受けた道教を信奉する一派が張角に率いられて全国的に反乱を起こした。その数数10万、首に黄色いハンカチを巻いて闘ったことから黄巾の乱と呼ばれた。
注2) 断裂した碑文
原因は拓本を取る業者達が自分に必要な十分な数の拓本をとったあと、自分の拓本の価値を高めることを目的として拓本の一部を欠いたことが連続し欠損が甚だしくなったのが最大の理由である。
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