永寿2年四国にあった平家は義仲軍を水島に、行家軍を室山に破って力を得、翌年旧都福原に復し、戦闘の備えを固める。一方頼朝から義仲追討の命を受けた関東軍が京に接近しつつあった。義仲の法住殿攻撃の暴神挙がその契機となっていた。義仲は平家に和議を申し出で、平家に上洛を促す。平家はその申し出を拒否。義仲自らは関東軍に備えて近江へ向けて出陣しようとした。関東軍は5万6千の大手範頼の軍、2万の義経軍が出陣しこれに対し安徳天皇と神器を擁して上洛し、義仲と組もうとしていた平宗盛は戸惑う。神器と先帝は依然として平家の手にあったのである。
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