三養荘は昭和4年岩崎弥太郎の長男久弥の別邸として、京都の庭師小川治兵衛の手によって造られた。4万2千坪の敷地に数寄屋造りの和風建築が建設されたものである。三養荘とは蘇東波の「三養訓」の由来するもの。
昭和22年に旅館「三養荘」として15棟にて営業開始。現在の新館は昭和63年、建築家村野藤吾の設計によりオーップンした。
しかし現在の「三養荘」の新館以外の老朽化が激しく、修繕の手もほとんど入れられておらず、庭園も荒れておりその凋落振りは痛ましい。又館内の飾り物もほとんどなく、客室の床の間には花も生けられていないことから旅館業の先行きも疑問が残るの現状である。
コメントをお書きください