戦後70年の安倍談話について

先ず順を追ってみてみよう。


① 日露戦争は植民地支配のもとにあった、アジアやアフリカの人々を勇気づけました云々・・・。

1876年日本は武力をもって韓国に日韓修好条規の締結を強制、これは治外法権を認めさせ、関税自由権を与えない点で、日本と欧米諸国との間に成立したのと同じ不平等条約であった。

日露戦争の時期は日本の暗黒時代とみなされており、朝鮮植民地化が完成、抑圧民族意識が国民をとらえ、天皇制に害のある一切の運動と思想の抑圧が強行された時代である。
日露戦争の結果、東アジアにおける唯一の帝国主義国としての地歩を確立し、極東の憲兵となったが、財政面では困窮。軍事化が進み、財政の3分の1が軍事費に、3分の1が戦時公債の利払にあてられる状態であった。


日本は先進諸国に追いつく為に欧米の歩んだ道をくりかえそうと世界情勢をみたとき朝鮮しか進出の場所が見出せなっかった。アジア諸民族との連帯の力で欧米の侵略に対抗するという考えは全く日本にはなかった。
植民地の解放に力があったとの記述は全くの欺瞞であり、日本の国内では一切の自由、人権を奪い、国民生活を塗炭の苦しみに陥れ、アジア諸国に対しては、国民を抑圧する最悪の帝国主義の道を突き進んだのである。


② 世界を巻き込んだ第一次世界大戦の記述について、戦争の原因は集団的自衛権を各国が各々行使したことによるものである事を明確にしなければならない。日本の参戦は漁夫の利を得るが為に日英の集団的自衛権を行使したものである。


③ 第二次世界大戦について外交的、経済的な行きづまりを力の行使によって解決しようと試みた云々・・・・とあるが、

1895~6年は日清戦争は日本人の中国観を一変させ、戦争が始まるや小学校の先生までが一緒になってまるで犬でもけしかけるような態度で「なんぞといえば、大和魂とちゃんちゃん坊主(中国人のこと)とくり返す」という蔑視が国民に浸透した。

日清、日露戦争で、台湾、膨湖島を割譲させ、関東州の租借権と一部漢民族の支配者となった日本は、より広い地域への進出が企てられ、1915年有名な21ヶ条の要求を提示し、中国に対し満州、東部内蒙古に日本の特殊権益を強制した。

中国への侵略の推進と同時に植民地として、台湾、朝鮮に対しては帝国主義的支配の

締め付けが誰はばかるここなく強行されたのである。


④ 先の大戦では3百余万の同胞の命が失われ、祖国の行く末を案じ云々・・・とある。

3百余万人のうち、百万人は一般人であり、戦場に狩り立てられた若者は一切の自由も人権も奪われ銃剣によって強制され何の為に戦争するのかすらも自覚することなく戦地に行かされたものである。 


⑤我国は痛切な反省と・・・云々とあるが誰が指導して何を行ったかを明確にしない反省とお詫びでは問題の解決にならない。


⑥ 私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供達に謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません云々・・・戦争に拘らなかった人たちは謝罪しなくとも良いと読めるが、すると当時選挙権を持たなかった人達は謝罪しなくても良い事になる。

将来に亘って日本人が謝罪を続けることは、この国が何処、残虐な戦争を行ったのか? その原因はどこにあるのかを絶えず検証し、絶えず現われる危険性を防ぐためにも、不可欠の事柄でもあるからであり、被害国に対して常に日本の姿勢を示し続けることによってしか信頼を勝ちとる事が出来ないからである。


以上 特徴的な点は歴史上の出来事を文脈なしに並べて、あたかも何らの意志の力が働く事なく物事が進行したかの如く語られおり 1) 誰が 2) 何を 3) 何のため 4) どこで の主語が総べて抜け落ちている事である。