154回芥川受賞作 「異類婚姻譚」を読む

作品の登場人物の名前がサンちゃん、ハコネちゃん、センタ等であることからこの話が
寓話であることをあらかじめ読者に分からせるように作られている。
しかしこの事から作者は書こうとしている作品に正面から向き合う努力を放棄している

と思われるのだ。

 

自分の顔が亭主にそっくりになっている場面、亭主が道端に痰を吐き近隣の女性から執

拗に咎められる場面。亭主の目鼻が顔の下方にずり下がっている場面等ほとんどの場面が著しくリアリティに乏しいのだ。

突然料理を始めた亭主が毎日大量に揚げ物をつくり、妻に半ば食べることを強要したあげく、音を立てゝ弾け山芍薬となるくだりは唐突で全く説得力に欠ける。


 先の戦争の総括をすることなく、借り物の自由と民主々義の旗のもと未来の幸福を夢

見て、懸命に働いてきた日本人がここまで来て気がつけば、戦争の足音がいつの間にか

忍び寄っており、1、000兆円を超える借金に喘ぎ、4割が非正規社員という歪んだ社会

と原発の恐怖に苛まれる絶望的な現実を突きつけられているのだ。

いつの間にか人間不信と現実感の乏しい社会が立ち現われて来たのである。
人間関係が薄れ、何となく不安に満ちた社会を、作者はテクニックで描き出そうとして

いるのかも知れないが、日本社会の現実を政治、経済、社会、そこに生きる人々の実態を

具にリアルに見極めることなくしては、それは不可能ではないか。

 

この作品の現実的でない事柄は、一層リアリティに満ちた一部の隙もない現実感溢れる

表現を駆使しなければなりたたないと思う。それだけの力技が必要な作品であるのに。