① 12歳で一家の大黒柱に
パッキャオは1978年12月17日フィリピン、ジェネラル・サントス市で誕生した。
当時フィリピンは内戦中、マルコス大統領は戒厳令を発令。
1970~80年代内戦が続いた。
母子家庭のパッキャオはココナツの葉で屋根を葺いた小屋に住み、魚漁の手伝いをして、魚を貰うなどして食うや食わずの生活をし、小学校は6年で中退、ドーナッツ売りで生
計をたて12歳で一家の大黒柱となった。
② 2ドルの賞金で生計、そしてマニラに出てプロになる
伯父にボクシングの手ほどきを受け、12歳の時に公園での試合でデビュー、2ドルの賞金を貰って以後2ドルで試合を続けるが、これでは生活が出来ないことから16歳で母ディオンシァに無断で3日間かけて船でマニラに出る。夜はリングで寝て、すぐに18歳と年齢を偽ってプロテストを受け、プロのリングに上がるようになる。
19歳で東洋、太平洋ボクシング連盟のチャンピオンとなる。当時は妻のジンキー・ジセラモラは妊娠していた。
1998年12月WBCフライ級王者チャッチャイ・サーサクン(タイ)を8R KOで王者となるが、1999年9月メッドグン・3K・バッテリー(タイ)に3R KOで敗れタイトルを失う。
③ボクシングの本場へ 名トレーナー フレディ・ローチと出会い
闘う相手を探すのが困難となり、チャンスを求めてアメリカに渡ったパッキャオのマネージャーのナザリオはトレーナーを探し、26歳で現役を引退してコーチとなったフレディ
・ローチに出会う。ローチはパッキャオの才能に惚れ込みトレーナーを引き受ける。
④ 有力選手を次々TKOに下し一躍スターダムへ
アメリカに渡って10日程、2001年6月1BFバンタム級の不敗王者4度防衛中の強豪リーロ・レジャバが対戦相手を探しており、パッキャオに白羽の矢が立って、これを6R TKOに下し、一躍脚光を浴びるのである。
次の相手は2003年11月モラレスと全勝のナジーム・ハメド倒し当時は無冠の帝王と謳われた「童顔の暗殺者」マルコ・アントニオ・バレラを、WBCフェザー級の王者決定で、11R TKOに下し、スターダムにのし上がるのである。
当時のファイトマネーは70万ドル、本人に渡るのはその内の30万ドルでしかなかった。
⑤ 左で破れ、右を鍛え直しての再戦
次のデテリブル・エリック・モラレス戦で判定負け、左だけでは勝てないとみて、右を徹底的に鍛えの再戦でモラレスをKOに下し、3度目も同じくKOで下す。2008年3月WBC S・フェザー級王者ファン・マヌエル・マルケスを判定で下し、2008年6月にWBCライト級王者ディビット・ディアスを9R TKOに下す。
⑥ 交渉代理人、トレーニング方法、本人売出し等
試合以外の様々な問題も解決
当時、プロモーターと交渉する代理人の必要性や、「従来同じトレーニングを繰り返していて痛めた脛や足首、肩の炎症などを抱えており(アレックス・アリサスポーツトレーナー談)トレーニング方法を変えて科学的方法を取り入れてこれを克服」他に当人を売り出すアドバイザー等、試合以外の様々な問題を解決しなければならなかったのである。
⑦ デラホーヤとの対戦 体重差9kgに母国では殺されると反対法案も
2008年12月 対オスカー・デラホーヤ戦が決定。当時のパッキャオはS・ライト級、デラホーヤはミドル級で実に9kgの差があったのである。
フィリピンでは国会に反対法案が提出されて「殺されてしまう」我国が誇る選手を重大な怪我から守ることを目的にする。大男が小男をいたぶる見世物にすると、決議されている。チノ・トリニダート・スポーツキャスターはまるでダビテとゴリアテだと語っている。誰もが無謀だと思った。でも止める気はなかったのである。
デラホーヤは試合の前にパッキャオと闘う理由について「パッキャオのスキル、若さ、スピード、パワーであろう」と語っている。誰もがデラホーヤの圧勝を信じていた。
フレディ・ローチはパッキャオの体重を135ポンドから147ポンドに増加させて、かつスピードとパワーの強化を図った。
試合は開始早々からパッキャオの一方的な優勢のまゝ推移し、8R TKOで終了。
ボクシング界が驚愕した。
⑧ 驚愕の勝利 マニラで凱旋パレード
凱旋したパッキャオをマニラ中の人々がパレードするパッキャオを一目見
ようと集まり、紙吹雪の嵐で迎えたのである。国にとっても誇らしい瞬間
であった。「今の自分があるのは神のお陰だと考えている。すべては神の
意思だ」とパッキャオは語っている。
フィリピンでのパッキャオの人気はエルヴィスとケネディを合わせた感じ
だと言う。
⑨ 耀ける強豪たちとの対戦 そして 訪れる黄昏
2009年11月マルガリートに逆転負けを喫して1敗したとは言え、ウェルター級の主
役の一人WBOウェルター級王者ミゲル・コットを3回のダウンを奪った上で12R TKO
に下した。
2010年3月コットに敗れて1敗した。同級の強豪、固いガードと右強打のジョシア・クロッティを鎧袖一触、相手に何もさせずに一方的に打ちまくり圧勝。
更に2010年11月攻撃力に優れて打ち出したら止まらない恐るべきタフガイ「人間風車」とニックネームのアントニオ・マルガリートをKO寸前まで追い込んで圧勝。
2011年WBO王者のシェーン・モズリーを12R判定に下し王者となる。(この2試合の体格差も歴然としていた)
2012年12月8日宿敵ファン・マヌエル・マルケスと対戦、お互いに1回づゝダウンを奪
ったのと6R、ロープ際でのマルケスの右ショートカウンター 一発でKOに敗れて6敗目
となる。
その後ブランドン・リオス、ティモシー・ブラッドリー、クリス・アルジェリーと闘うが、モズリー戦までの耀きは既に失われており、メイウェザー戦は合計500億円とも云われるファイトマネーの試合であったがパッキャオに往年の踏み込みの早さ、左ストレートの威力なく、メイウェザーに正面から闘う姿勢もない凡戦に終ったのである。
⑩ ついに迎える引退試合の日
アントニオ・マルガリート戦までの消耗戦が続いた結果とマルケスのショートカウンターの後遺症の影響は否めないところだ。
次の試合ティモシー・ブラッドリー戦で引退するようである。
⑪ パッキャオ 体重50.8kg~69.85kg 6階級制覇の秘密
2008年3月のS・フェザー級58.9kgから11年11月Sウェルター級の69.82kg、3年間に11kgの体重差をカバー、フライ級のタイトル獲得からS・ウェルター級のタイトルまで50.8kgから69.85kgまで10階級のうち6階級を制覇した。
もしオリンピックのメダリストであったなら計画的にタイトルを獲得し続けて10階級を制覇したことは間違いないところだ。
体力的に劣ると思われていたアジアの選手でクラスを上げながら強敵ばかりと闘い、体格差を短期間で乗り超えながら、試合に重ねる毎に、パンチ力、技術、体力、打たれ強さと試合運びの巧さを身につけて、この偉業を成し遂げたボクサーは古今に類をみない、驚異の異能ボクサーである。
中にはバンタム級のオスカー・ラクオス戦やスーパーライト級でメイウェザーに惜敗の1敗のみで、スター街道を驀進中のリッキー・ハットンを衝撃のKOに下した試合等が強い印象に残っている。
⑫ 6階級制覇のオスカー・デラホーヤの場合
因みに 他の6階級制覇のオスカー・デラホーヤを見てみると、オリンピック金メダル獲得後鳴り物入りでプロ入り、スーパースターの卵として大切に育てられ、S・フェザー級からスタート、4団体の中で1ランク下に位置付けられていたWBOをターゲットとして初タイトルを取ると、クラスを1階級ずつ上げて対戦相手を慎重に選択、経歴に傷をつけないように安全に運転を続けて、名声に実力が伴うのをみて徐々に強豪を相手とした。
しかも、それも名はあるが、すでに盛りを過ぎた選手を選ぶなどしている。
しかしそのスタイリッシュなボクシングと甘いマスク、試合後のインタビューも極めて紳士的で、それまでのボクシング界(マイク・タイソンに代表される)にない女性ファンの多くを呼び込んでボクシング界のドル箱的存在となった。6階級制覇もある意味予定のコースとも言えるのである。
⑬ 5階級制覇の天才フロイド・メイウェザーの場合
次に5階級制覇の天才フロイド・メイウェザーはどうか。
オリンピックで銅メダルを獲得後プロ転向、2年目でS・フェザーの級タイトル獲得。
当時同階級には強打の全勝デイゴ・コラレス、全勝全KOのアセリノ・フレイタス、全勝のテクニシャン、ホエル・カサマヨルがいていて、メイウェザーはさして目立つ存在ではなかったが、体重苦からライト級に転向しようとしていたコラレスとの対戦が決まり、
体重調整に失敗したコラレスをまさかのKOで下し注目された。
ついでクラスをライト級に上げ、ホセ・ルイス・カスティージョに挑戦したが1階級の
違いは予想以上に大きなものがあり、カスティージョに押しまくられ辛うじて勝利した
ものゝその判定には疑問が残った。
ほとんど敗けいくさだったのである。
しかしメイウェザーも慎重に相手を選び、危険な敵は回避して、経歴を積み次第に自分
のボクシングを確立。誰も真似の出来ない異次元のボクシングスタイルで勝利を重ねて
5階級を制覇した。
その間にはこの選手と試合をさせたいと思われる選手は何人もいたが、彼は相手にすることはなかった。
パッキャオはその代表格であったのである。勝つことに不安のある相手とは闘わないのがメイウェザーの戦略であったのだ。(オスカー・デラホーヤ戦も判定に問題あり)
⑭ パッキャオの対戦姿勢に本物をみる。
今後二度と現われないボクサーか!
その点パッキャオはほとんどすべての試合で劣勢が予想され、試合の度に
今度こそは駄目だろうと思われた試合を勝ち抜いてきた。
その為に受けたダメージはメイウェザーやデラホーヤの比ではないのは明
らかである。
しかしそこに闘うボクサーの耀きがあったのである。
フライ級の骨格でS・ウェルター級まで体重を上げて闘うようなボクサーは今後二度と現われることは無いであろう。 (完)
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