昭和32年9月発行のサルトル「蠅」。
アイスキュロス作「アガメムノン」のエレクトラとオレステスの復讐劇に取材して作ら
れた。父王アガメムノンを殺害した弟のアイギストスと不義の婚姻をした王の妃クリュ
タイメストラは幼い息子オレステスの殺害を牛飼いに命ずるが、牛飼いはこれを憐れん
でコリントの地に逃す。
妹のエレクトラは下女同然の扱いを受けて生活、ゼウスはこの殺害を承認し、王以下ア
ルゴスの全市民に後悔と懺悔を強要する。街全体は死者達の幻影に怯えて生活する中で、唯一人エレクトラは父王の復讐を希っていき続けるが、そこへ15年振りにオレステスが帰ってくる。オレステスに復讐などする気はなく、エレクトラに一緒にこの地を逃れよ
うと申出るが、エレクトラはオレステスの優柔不断を激しくなじる。ここでオレステス
は殺害を決意、アイギストスは当然の事、母親クリュタイメストラをも殺害する。
ゼウスはこれを認めるがオレステスに後悔と懺悔を替わりに強要する。
さすればこれを許すという訳だ。これに対しオレステスはゼウスの強要する「良心の呵責」には豪(いささか)も怯まない。威圧的なゼウスと抵抗者オレステスの対決は息を呑む緊迫感がある。
エレクトラはゼウスの威圧と懐柔に屈するが「人間の実存」に目覚めたオレステスは何
ものにも、神にも屈することがない。
劇中でゼウスが語る。「アガメムノンは善人でした。併しとんだ間違いをしたわけなん
ですよ。彼は死刑が公衆の面前で行われることを許可しなかったのです。
困ったものです。絞首刑と言う奴は、地方ではいい気晴らしになります。そしてこいつ
は死に対する恐怖心を幾らか麻痺させるもんです。此処の人民達は何も(アガメムノン
殺害)言わなかった。何故と云えば彼等は退屈を託っていたし、何か一度でもいいから
手荒な死に様を見たいものだ望んでいたからです。
自分達の王様が宮殿の中で苦しみの余り、悲鳴をあげるのを耳にした時も何も云わなか
った。そして街全体は異様な興奮でさかりのついた女のようだったのです。
オレストスがこの事態についてゼウスを問い詰めたのに対して、ゼウスは「唯矢鱈に罪
を加えるばかりが能じゃありません。この騒ぎを精神的な秩序に役立つ様に向けた方が
よかったんではないでしょうかね」と語り、街全体に後悔と懺悔を強要したのだ。
サルトルはここで大衆のもっているポプュリズムのもつ危険性についても語っている。
ドイツナチズムの原因に思い至っているのであろう。
オレステスが二人を殺害したあと、オレステスの後悔を迫るジュピテルは「儂はお前を創った。儂は万物を創ったのだ」と神の前に平伏すのを要求するが、オレストスは「僕は
僕の自由なのだ。お前は僕を創造するや否や、僕はお前のものでなくなった。
僕を自由な人間に創ったのが間違いだったのだ。」と宣言する。
ヨーロッパで神と人間についてが常に問題になっているが、サルトルは神からの自立を
強く主張している。
17歳の頃読んだこの作品は、これからの人生は自分の選択と行動を自己の責任に於て決断しなければならないと、深く決意させられた。
社会人となった後も、何とかこの信念に従って生きてこられたと思っている。
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