床屋で小学校の同級生に遭う

1953年3月卒業から実に64年振りの再会である。5年生6年生の2年間同級であったが小学生でも小さかった私は柄に合せて頭の中味も幼く、同じような生徒と群れて、まさに餓鬼であった。同級のO氏(今日会った)は大柄で頭も良く、既に大人びた雰囲気を漂わせており多分頭の中味も私達と異なっていた事であろう。話をする事もほとんどなかったが強く印象に残っている。又特に親しかったクラス唯一のぼっちゃん刈りのN氏は当時から秀才振りを遺憾なく発揮していった。彼の広い家に毎日のように入り浸っていたが、引っ越し後は連絡が途絶えてその後東京に帰ってきてやがて上智大学の教授になったようである。小学生の頃教室で先生の依頼によってバイオリンを弾いて皆を驚かせた。(当時金町小学校でバイオリンを習っていたのは彼以外にいない)

レッドパージが吹き荒れた直後であったが、民主主義の風潮が今と比較しても庶民の間でも極めて自覚的であった。

担任の立岡先生は明らかにコミュニストであり、熱っぽく民主主義を生徒に語っていた。私の幼稚な頭でも先生が社会主義の世界を熱望している事は理解できたのである。

教室はボスも居らず苛めも存在せず、以後今日に至るまでの経験した組織のうちでこれ以上の快適で民主的な環境はなかったと云って良いであろう。

尚立岡先生の奥様エリ子さんは後に足立区の共産党区議会議員として活躍していた。