私の思う 「日本共産党の行方」

「日本共産党の行方」         

1. 1961年7月27日 第8回大会で決定された綱領では「日本人民の真の自由と幸福
  は社会主義の建設をつうじてのみ現実される。資本主義制度にもとづくいっさいの
    搾取からの解放、貧しさからの最終的な解放を保障するものは労働者階級の権力、

   すなわちプロレタリアートの独裁の確立、生産手段の社会的化、生産力の豊かな発展 

   をもたらす社会主義的な計画経済である」とされた。

   暴力革命については敵の出方によると従来の主張から大幅に後退した。

   事実上の暴力革命論の放棄と云って良い。

 

. 1970年第11回大会ではそれまでの「党はマルクス・レーニン主義を行動の指針
 とする」としていたが「党はマルクス・レーニン主義を理論的基礎とし、自主的、創

 造的に発展される  と変更。マルクス・レーニン主義からの距離をとり始める。
 またプロレタリアートの独裁をプロレタリアートの執権と表現を変え、議会主義政党
 に移りつゝある実情をよく現わしている。
 

 尚13回大会でマルクス・レーニン主義という用語はすべて削除され、科学的社会主義
 と書き変えられたのである。

 

3. 2004年1月17日の第23回大会で決定された新綱領では科学的社会主義も削除さ
    れ、暴力革命とプロレタリアート独裁は影も形もなくなり社会民主主義政党にすっ

    かり衣更えし、マルクス・エンゲルス・レーニンによって築きあげられた理論は完

    全に放擲された。
    過去一貫して批判してきた社会民主主義に、自己批判なしに移行するのであろうか。
    70年代の遅くない時期に民主連合政府をと主張してきたが民主連合政府のあと、民
    族民主統一戦線を結成しプロレタリアートの革命政府を樹立する方針は放棄したの

    だろうか。

 

4. マルクス・レーニン主義
     共産党宣言(マルクス・エンゲルス)
    「我々はプロレタリアートの発展のもっとも一般的な諸段階をえがきながら、現存
     社会の内部の多かれ少なかれかくれた内乱をあとづけて、ついにそれが公然たる革
     命となって爆発し、プロレタリアートがブルジョアジーを暴力的にうちたおして、
     自分の支配をうちたてるところに到達した」

 

.  国家と革命より(レーニン)
  エンゲルスの考察
   「暴力は歴史上でもう一つべつの役割、革命的な役割を演じるということ、暴力は
    マルクスの言葉をかりれば、新しい社会をはらんでいるあらゆる古い社会の助産婦
    であるということ。暴力は社会的運動が自己を貫徹し、硬直し死亡して政治的諸形
    態をうちくだく道具である。ブルジョア国家がプロレタリア国家(プロレタリアー
    トの独裁)と交代するのは通例、暴力革命によってのみ可能である」

 

6. 国家と革命より レーニンの言葉
 「プロレタリアートはまずブルジョアの支配下で行われる選挙で過半数を獲得し

  なければならない。しかる後にはじめて支配しようとすることができる、などと考

  えるのはペテン師か白痴だけだ。我々はこれとは反対にプロレタリアートはまずブ

  ルジョアジーを打倒し、権力を手中におさめ、それから労働者の多数の共感を得る

  ようなやり方で、この権力すなわちプロレタリアートの独裁を自己の道具として、

 使用せねばならないと主張する」

 

7.以上マルクス・レーニン主義の革命の真髄は暴力革命とプロレタリアートの独
  裁にあることは明白である。

 

8.マルクス・レーニン主義の最後の砦
     レーニン主義の不可欠の一つが民主集中制である。軍隊組織を革命組織に適用した
     組織としての民主集中制度である。組織としての民主集中制は必要不可欠なもので
     プロレタリアート独裁をめざす組織としてこれ以上有効なものはない。
     全軍を意のまゝに操れる事実上の独裁体制である。その危険性をドイツ民主党(共
     産党)の指導者の1人、ローザ・ルクセンブルグは「レーニンの党は中央集権的と
     いうよりは超中央集権的であり、この組織では党中央だけが考え、決定を下し、

     残りはそれに盲従する事になる」と厳しく批判している。ロシア革命後も「2,3

     ダースの党指導者が指導し、支配し実際にはその中の1ダースほどの卓越した人達 

     が指導し、そして労働者の代表は、時折会議に招集されて指導者の演説に拍手を送

     り、提出された決議に満場一致で賛成する事になる」と予言した。

 

9. その後の世界の共産党が悉く独裁制となったのは2004年の日本共産党綱領で云

   うような「レーニン死後スターリンを始めとする歴代指導者は社会主義の原則を投
   げ捨てゝ、対外的には他民族への侵略と抑圧という覇権主義の道、国内的には国民
   から自由と民主主義を奪い、勤労人民を抑圧する官僚主義、専制主義の道を進んだ。
   社会主義の看板を掲げておこなわれただけに、これらの誤りが世界の平和と社会進
   歩の運動に与えた否定的影響はとりわけ重大であった」としているがこれで説明で
   きるものでは決してない。スターリンや他の総ての社会主義国の指導者が悪かった
   からではなく、ローザ・ルクセンブルグの予言のとおり民主集中制というシステム
   そのものが生んだ結果なのである。

 

10. 日本共産党の場合
  組 織
   支部、地区委員会、都道府県委員会、中央委員会、幹部会、常任幹部会となって
  いる。
  完全な縦割り組織で、所属する支部から上級にアッピールすることは出来ない。
  支部間の連絡は禁止されて、地区委員会以上の選出は現役委員会の推薦により、参
  加者の反対投票は事実上許されない。すべてが全会一致で決められる。
  上級の決定に従わずに異論を外部に発表すれば排除される。従って余程のことがな
  いかぎり指導部は安泰なのである。
  さて暴力革命、プロレタリアート独裁、民主集中制のすべてが放棄された時に、日
  本共産党は完全な社会民主主義政党としての議会主義政党となるのであろう。

 

11. 自民党による事実上の一党独裁の現状をどうみるか、得票率も得票数も数年来
  殆んど変化しておらず、基盤も不安定であることは都議選の結果をみても明らかで
  ある。議席数の多さにいい気になっている政権は必ず間違いを犯す。
  対抗する為には既成政党に囚われることなく、まず政党に属さない著名人数人で新
  党結成し第一に対立軸を明確にすることだ。例えば
     イ)原発即時廃止 
   ロ)集団安全保障条約の破棄 
     ハ)共謀罪の廃棄 
     ニ)自衛隊の海外軍事出動の禁止 
     ホ)社会保障と雇用政策の優先 
  等で一致した勢力を結集する。新党を作るのではなく、選挙協力を中心に緩やかな
  統一戦線をつくるのである。

  その為の不可欠の条件は共産党にある。
      イ)既に破綻したソヴィエト連邦を始めとした旧来の社会主義国の崩壊の原因を
       完全に総括し、現在の綱領、規約を改正して、暴力革命、プロレタリアート
       の独裁、民主集中制を廃止する事を日本国民に宣言する。
        ロ)党名も変更し、議会活動を中心とした民主主義政党に変貌する事が求められ

      る。

 

    共産党には
        イ)私心のない活動。
      ロ)不正に妥協しない。
      ハ)正義感の強さ等で国民の中に一定の信頼感があり、旧来の社会主義に対する
    拒否感の解消に成功すればその組織力もある事から、強力な柱となる事は十
    分可能であると思われる。