陶淵明とその時代を考える 参考:吉川幸次郎 「陶淵明伝」

魏の曹操は漢帝国の末期官界にデビューし、やがて東都太守に任ぜられて始めて本拠地

を得る事となる。帝国に司馬懿(シバイ)を中心とした知識人集団清流派が存在し、宦

官と対抗して勢力を増大させていた。
無能で病弱な霊帝が死去して帝国は瓦解への道を辿るのである。
農民一揆「黄巾の乱」を鎮圧した曹操はその残党30万人と清流派を味方にして「魏」を
建国。三国志の時代となるが「赤壁の戦い」で一時野望が頓挫し、曹操亡きあと清流派

の司馬炎は魏の国を簒奪し317年晋を建国。蜀、呉も滅ぼし天下統一を果すのである。
589年まで続いた晋王朝も滅亡。南北朝時代へと移行してゆくが陶淵明は晋王朝末期に

役人となり、南朝宗の文帝の時代に死去している。
彼は「自祭文」と題する100余篇の韻文を作っているがこれが絶筆である。
 『歳は惟(コ)れ丁卯(ヒノトウ)律(フエ)は無射(ブテキ)に中(アタ)り
  天は寒く夜は長くして風の気は蕭索とわびしきとき・・・・・』で始まり、
 『人生は実に難し、死は如何なるべき、嗚呼(アア)哀しい哉』 で終る。


彼は自分の人生は自由人として満足すべき生涯を送ったことを誇り高く語っているが、
しかし最後にあゝ哀しい哉でむすんでいるのは何故か。
権力闘争に明け暮れた晋王朝末期に長く飢えに苦しみ、農具を捨てゝ役人となり、人々

の為に奮闘努力し、ついに小さな県の知事の位についたがそれが、それが自分の期待に

反し、何と虚しい事であったか。彼は現実からドロップアウトした隠遁者となった。

自由の天地に帰ることが彼の望むすべてゞあったのである。
その事に些かも後悔はない。しかし隠遁したあとも現実世界をしっかり直視していた

のである。


全文340字からなる「帰去来の辞」は次のように始まる。

  『帰んなん、いざ田園は将にあれんとするになんぞ帰らざる』

 そして

  『己に往きしときの諌むべからざるを悟り、来る者のつぐなう可きを知る』

 更に

  『実に途に迷うこと其れ、まだ遠きにあらず、今は是しく昨は非なりしを覚る』

 

なぜ帰るのか、おのれが軍閥の部下として、又知事として方々をとびまわっている間に、おまえの一番大切にすべき田園の旧居は荒蕪に帰しようとしているのになぜ帰らないのか、帰るが良い。過去の時間は取り返しがつかないと悟れば悟るほど未来の時間が自由

な真実の生活を追補すべき時間として貴重に認識されている。
引き返してみれば昨日までの生活が嘘であり今日の生活こそ正しいことがはっきりわか

ると語るのだ。

高級役人として過ごした多くの知識人の理想とした隠者の生活がこゝに見られるのだ。