「溺れるものと救われるもの」 著者 プリーモ・レーヴィ                        朝日新聞出版

「大戦前のドイツで大量虐殺の予兆がないわけでなかった。ヒトラーは初期の本や演説
ですでにユダヤ人が人類の寄生虫であり、害虫を駆除するように抹殺すべきであると明
確に語っていた。しかし、まさに不安をかきたてるような推測はなかなか根付かないの
である。極限状態が来るまで、ナチの(そしてファシズムの)信徒が家に侵入してくる
まで、その兆候を無視し、危険に目をつぶり、都合のいい真実を作り出すやり方を続け
ていたのである」以上引用


被害者のユダヤ人達もまさにレーヴィが指摘したように、危険を察知して国外に脱出を
図るなどの対処を行うことなく、自分に都合の良い現実を過大に作り上げて何とか安全
幻想を捨てられなかったのである。一方の加害者の一般ドイツ人達も、ナチスの危険を
知りながら、これに目をつぶり、ユダヤ人排斥のナチスの方針を見ない振りをして、こ
れを受け入れたのである。

 

レーヴィは『アウシュヴィツは終らない』がドイツで発売さ れる事が決ったとき、「私は彼等(ドイツ人)を鏡の前に縛りつけて無理矢理にでも読んでもらう積もりだった。

アウシュヴィツの解放から15年しかたっておらず、この本を読む人は虐待した者、虐待に同意したもの達であったのだ。ほとんどの人が目を閉じ、耳をふさぎ、口をつぐんで

いた。ほとんどの人が卑怯だった」と。

 

他人事ではない。日本人の大多数は第2次大戦での日本は被害者であったと認識してお
り、アジアを中心として侵略者であり大量虐殺者であった事に目をつぶっている。


私が現職のサラリーマンであった頃、会社の経営陣は理不尽な行為を半ば公然と行って
おり、労働基準監督署も違法行為を見てみぬ振りをしていた。
労働者側も中間管理職を中心としてこれに無批判的に無条件に迎合し、女子社員は羊の
如くこれに従ったのである。職場の中に人権も個人の尊厳も存在しなかったのを実感し
た。日本の社会に民主主義は形ばかりであったのである。

 

2018年2月号の「図書」の中で柳広司が大人の流儀ーV・スウィフト「ガリヴァー旅行
記」でこう書いている。「最近は物分かりのよい大人や年寄りが多すぎる。ニコニコと

人のよい笑みを浮べ、世の中に不平不満の声を上げる訳でもなく、健康に気をつけ、

気の会う仲間とつるんで旅行する、美味しい物を食べ、温泉に入る。極楽、極楽。

年金もたっぷりもらえるし、株価も上った。今の若い人は大変だわね・・・」


スウィフトがもし今日の日本の状況をーフクシマやオキナワで起きている問題から目を
逸らし、国を挙げてオリンピックにうつゝを抜かしている有様を、反対意見を表明して
いた者たちまでが、「決ったからには仕方がない」とまるで「始めたからには勝たなけ
ればならない」と先の戦争の時と同じ発言をしている様子を目にしたら、きっとさらに
おぞましい「ガリヴァー旅行記」第5話を書いたに違いない・・・・・と。