金子 兜太氏 死去 2月20日

急性呼吸促迫症候群にて死去 (享年98歳)
旧制高校時代句作を始め、「寒笛」主宰の加藤秋邨に師事。帝大卒業後日本銀行に入行

、翌年海軍士官としてトラック島で終戦を迎え職場復帰する。

銀行復帰したが長い間地方を盥回しされた。その傍ら社会俳句に取り組み、以後一貫して俳句革新運動の中心となってきた。
反戦への強い思いから平和運動にも深く関り、最近では安全保障関連法案反対への揮毫

を依頼されて「アベ政治を許さない」と肉太の書を公表した。
その後のデモで多くの参加者がこの書をプラカードにして掲げている。


朝日俳壇の選者を87年から30年間に亘って勤めた。

「彎曲し 火傷し爆心地の マラソン」 兜太 

尚、日銀の自分の気に食わない人物を盥回しにするやり方は70年代後半にまでも続き、私の友人も北海道、九州盥回しされていた。