日本の唱歌、歌曲については音羽ゆりかご会の会唱等で音楽的に質が低いと長い間評価
されてきた。その中で中沢桂や倍賞千恵子がやっと孤塁を守っている状況であった。
何とかしっかりとした日本歌曲が聞きたいものだと思っていたところ1982年2月たまたまレコード店で購入したのが鮫島有美子の「日本のうた」だった。
それは従来のクラッシック歌手の発声や発音のバタ臭さが全くない、自然でしかも格調の高い歌声に魅了された。
生れて始めてのファンクラブなるものに入会。会員名簿の中に元首相の小渕恵三の名があり、住所は衆議院会館であった。会員は500人程いたであろうが鮫島有美子から全員に年賀状と暑中見舞が律儀に送られてきた。会報も年に4~5回出されていた。
金泥の書と佛画を描く等作品をつくるときには100枚程所有する落語と彼女のCDをいつもかけていたのである。
鮫島有美子は1952年生まれ、75年オテロのデズデモナでデビュー。82年にドイツ ウル
ム劇場の専属歌手となり85年「日本のうた」でレコードデビュー、その後の活躍は目を見張るものがある。
以後日本の歌シリーズ、日本の抒情歌、イギリス民謡、アメリカ、ロシア民謡、アメリカンラブソング、ミュージカルナンバー、シャンソン、映画音楽、シューベルト、ブラームス、マーラー、リスト、モーツアルトの各歌曲集、モーツアルトアリア集等多岐に亘って50枚に及ぶCDを世に出した。
中でも私が気に入っているのは「日本の歌」第2集の中の「お菓子と娘」「浅き春に寄せて」「曼珠沙華」「さくら横ちょう」「水色のワルツ」が出色である。
又映画音楽の中の ” 会議は踊る ” の「たゞ一度だけ」 ” 歎きの天使 ” の「また恋したのよ」 ” リリー・マルレーン ” の各ドイツ語で歌う3曲である。
舞台は92年に「夕鶴」のつう、” 漂泊者のアリア ” で砂原美智子役で「ある晴れた日に」を歌い、メリーウイドゥで主役のハンナ・グラヴァリー夫人がある。
芝居では95年「オセロ」のデズデモナ役で平幹二郎、村井国夫と共演している。
東京で催されたリサイタル、舞台はほとんど足を運んでいるが日本語、英語、ドイツ語、フランス語の美しさは云うまでもなく、語りの日本語も美しい。