かつての名歌手シリーズ第3回 イヴ・モンタン

イヴ・モンタンは1921年10月イタリア フローレンス近くの石黄土質で小石があるやせたアベニン山脈の一寒村モンスマーノに生れた。本名はイヴォ・リヴィ、港町マルセイユで幼い頃を過し、労働者としての生活が始まり、18歳のとき喉自慢シャンソン大会に出場して優勝。やがてイヴ・モンタンと名乗りムーラン・ルージュで活躍中にエデット・ピアフに認められ46年ピアフ主演の「光なき星」で映画デビュー、同年「夜の門」に主演。その主題歌「枯葉」を歌い続けて世界的なスタンダード・ナンバーに育てた。

俳優としては53年に「恐怖の報酬」が高く評価された。
イヴ・モンタンという名は子供の頃から母から「イヴォ・モンタ」(イヴォ モンタ『あがっておいで』)と呼ばれたのをもじったと云われる。

第二次大戦直後から1950年代モンタン・シニヲレ夫妻はフランスで最も有名な共産党員のシンパであった。フランス議会で共産党が第一党の座にあった頃の話である。当時ヨーロッパでナチスドイツと闘った唯一の政党がフランス、イタリアの共産党であり、その為国民の共産党に対する信頼はベリンヴェル率いるイタリア共産党が常に30%を超える支持率を有し、もし大統領制度があれば、貴族出身でスタイリッシュなベリンヴェルの当選は間違いないと云われていた。

一方マルシェ率いるフランス共産党も劣らずの勢力を有し、ヨーロッパで議会主義のもとで最も社会主義への移行の可能性が高いと思われていた。

 

1956年11月のモスクワ公演を追ったドキュメント映画「シャンソン・ド・パリ」では黒い長袖シャツに細く黒いズボン履いたシンプルなスタイルでスポットライトを浴びたモンタンの舞台は水際だった真に見事なもので、ソヴィエトの聴衆の熱狂的支持を受けたものである。それは世界の共産党の中で最もソヴィエト政権と親密な関係にあったフランス共産党のシンパであったモンタンである事も理由の一つであったろう。

しかし、もはや戦後ではなくなった60年代半ばあたりからモンタンは姿勢を変える。
それは頼みのソヴィエト政権が民主主義の擁護者からその抑圧者に変り、大国主義が露骨になってきた事。又経済政策に失敗しミッテラン政権の支持率が急落する等からモンタンは「共産党は赤いファシズムで社共連合政権は破廉恥かつ危険きわまりない政権だ」として「アメリカは社会主義国家が目標として果せなかった理想を実現した国」とアメリカを礼賛した。明らかな変節であるモンタンは大衆の動向に添うようにその考え方を左右に振らしたのである。ジュリエット・グレコの「お金持ちになると人が変るのかしら」を始め、世の批判、悪口、後ろ指にダメージを受けるどころか燦然と輝き続けたのである。

 

さて50年以上前の事である。モンタンがボップ・カステラ楽団を率いて、東京公演に来日が決った。会場は築地のセントラル劇場である。前売り開始は12月10日であり始発の電車に乗って日本橋「赤木屋」に着いた時は既に10数人並んでいたのである。中には毛布にくるまっている人も数人いた。4~5時間寒さに震えながらチケットを手にした時は本当に嬉しかった。むろん勤務先は休んでいた。しかし理由は何であったか突然公演は中止となった。残念!

 

シャンソン・ド・パリで見せたモンタンの「バットリング・ジョー」では連戦連勝を続けていたボクサーのジョーがリングで突然目が見えなくなる話を始め軽やかにステップを踏みながら唄い、やがて目が見えなくなるドラマをまざまざと再現していた。
流石に「枯葉」の歌唱は深い感銘を我々に与えたのである。「枯葉」も「バルバラ」も詩人ジャック・プレヴェールの作でプレヴェールはマルセル・カルネ監督の「悪魔は夜来る」「天井桟敷の人々」のシナリオも書いている。ナチス占領下で、抵抗の意志を示した輝かしい作品として今も高い評価をがある。

 

         「バルバラ」の詩は

  「思い出せバルバラ、忘れるな しあわせな君の顔に、

   しあわせなあの町に、あのおだやかな雨、海にも、

   海軍の工場にも、ウェッサン通りの船にもあの雨。
   あゝバルバラ、じつに愚劣だ。
   戦争は、この鉄の雨、火の雨、血の雨、鋼の雨の中で

   今君はどうしている。

   いとしげにきみを抱き、しかし、あの男は死んだか、

   行方不明か、それともまだ生きているのか。

   あゝバルバラ、ブレストは昔と同じように

   ひっきりなしの雨ふりだがもう同じ雨ではない。

   すべては悪化して恐ろしい荒んだ弔いの雨だ。

   もう鉄や鋼や血の篠つく雨ですらない、ただの雲、

   犬のように野垂れ死にする雲だ。

   ブレストの潮の流れに犬どもは姿を消し、

   やがて遠くで腐る、ブレストのはるか彼方で腐る。

   この町に残るものなし」

(詩の一部)「プレヴェール詩集より」より