うひ山ふみは、本居宣長が寛政10年(1798年)69才の著であり、初めて学びの山にふみ込む人々の為に国学研究の態度と方法を具体的に説いたものである。
(1)詮ずるところ、学問は、ただ年月長く倦ずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要にて、学びようはいかようにてもよかるべく、上のみかかはるまじき事や。いかほど学びかたよくても怠りてつとめざれば功なし、晩学の人もつとめはげめば、思いの外、いとま多き人よりも功をなすものや。されば才のともしきや学ぶ事の晩まや、暇のなきやによりて思いくづをれて、止むことなかれと学問に対する基本的な考え方をまず示している。
(2)教え方についても、人の心心なれば、吾はかやうにてよかるべきと思へども、さてはわろしと思う人も有べきなれば、しひていふにはあらずと決めつけた教育を厳にいましめている。
(3)次に古事記、日本書記を必ず読むようすすめたあと、書物の読み方について、初心のほどは、かたはしより文義を解せんとすべからず、まず大抵に、さらさらと見て、他の書に移り、あれやこれやと読みては、又さきに読みたる書へ立ちかえりつつ、幾編も読むうちに始めに聞えざりし事も、そろそろ聞ゆるようになりゆくもの也と書物の読み方を指南している。
(4)書をよむにはただ何となくてよむときには、いかほど委しく見んと思ひても限あるものなるし、みづから書の注釈をもせんと、こころがけてみるときには、何れの書にても格別に心のとまりて、見やうのくはしくなる物にて、外にも得る事の多きもの也としている。
(5)万葉の歌の中にても撰びてあつめたる集にはあらず、よきあしきえらびなく、あつめたれば古ながらもあしき歌も多しと注意をうながし古と後世の歌の善悪を世の治乱盛衰に係りているも一わたりの理論として事実にはうときこと也とし今の世の人は、己が今思ふ実情のままによむをよしとせば今の人は今の世俗のうたうやうなる歌をこそよむべけれ古人のさまをまねぶべきにはあらずと指摘している。
(6)芸道についても、宗匠の歌などをば、よきあしきを考へ見ることもつよく、ただ及ばぬこととしてひたぶるに仰ぎ尊み、他門の人の歌といへばいかほどよくても、これをとらず、心をとどめて見んともせず、すべて己が学ぶ家の法度掟を、ひたすら神の掟の如く思ひて、動くことなく、これをかたく守ることをのみ詮とするから、その教法度にくくられて、いたくなづめる故によみ出る歌みなすべて詞のつづけざまも一首のすがたも近世風又一やうに定まりたる如くにて、わろきくせ多く、このさまいやしく窮屈にして、たとへば手も足もしばりつけられたるものの、うごくことかなはざるごとく、いとくるしく、わびしげに見えて、いささかもゆたかにのびらかなるところなきを、みづからかへりみることなく、ただそれをよき事と、かたくおぼえたるは、つたなく愚かなること、いはんかたなしと述べている。
(7)宣長の言っている事は、どんな権威や、常識と言えども、そのまま受け入れるな、何事もどこが良くて、どこが悪いのかは他人の評価だけで見るのでなく、自分で判断せよ、書物はとにかく理解出来る範囲で読み通して、その後一定の読書経験ののちに再度、取り組むべきであるという事である。
(8)しかし宣長の主張の否定する実態が今日厳然として存在しているのだ。例えば大小様々な会派の書道展が至る処で開催されているが、大半が会の主催者の手本に忠実に、いかにそれに近づけるかを競っているようにみえる。
会場一杯に同じような作品ばかりが並ぶようになり、一般客には著しく面白さが失われてみえるのだ。宣長が鳴らしている警鐘が顧みられていないことを痛感する。うひ山ふみの主張はつまるところ、独学のすすめと言えよう。
うひ山ふみ 鈴屋答問録 岩波文庫