鈍翁・益田鈍翁とその時代 丸山眞男座談巻8より 丸山眞男、白崎秀雄
三井物産をつくり育てた益田孝がとりあげられている。
1.益田孝は(1848年~1938年)、幕末から明治にかけての資本主義勃興期から昭和10年代の太平洋戦争直前までの日本の資本主義発達史を身を以て生き、また率いた人物で、大茶人であると共に、古美術の一大コレクターであり、あれだけの美術に関する見
識を持った人間は他にいない。
2.益田は三井のリーダーとしては井上馨、中上川彦次郎、団琢磨、池田成彬という人々にくらべて光が当てられなかったが大組織の巨人である。
3.益田をふくむ勃興期の日本ブルジュワジーの洗練された教養は茶会を通じて、財界や政界のネットワークが自然と成熟したと述べられている。
4.益田孝は佐渡相川の地役人の家に生まれ、父の転勤で箱館、江戸で少年時代を送る。英語を学び、江戸幕府の通訳となり1863年使節団の随員として渡欧に認められ、1872年大蔵省に入り造幣権頭となるが、翌年井上とともに退官、井上の創設する先収会社に参画し1876年これが三井家に吸収されて三井物産が設立。経営の最高責任者としてその発展に寄与した。1909年三井合名会社設立理事長として銀行、物産、鉱山を株式会社化し、三井の財閥体制を確立した。
一般には佐竹本三十六歌仙を分割し籤引きで、財界人に割振ったので知られている。
5.我家に鈍翁の書状が3通ある。
この2015年頃に購入したものである。
1通は「拝見 久々御疎遠に打過仕候、益御清栄欣賀至極候云々。
7月日付西22村芳□様宛
2通、3通は鈍翁作の茶杓と添状付きで購入したものである。
1通目 珍しき鵞の羽箒 云々 12月念日とある。
2通目 再應之御書に候へ共かゝる際に八迎春之明も謹み出申候 欽禮仕候まゝ夫
を銘と致し候 末客ニ苦しみ筆採る間も無之遅延御怒を乞ふ 謹言
昭和1年初〇 孝
蓬〇学兄侍史 とある。
2通目は茶杓の添状の1通で前年末に作成した茶杓については大正天皇崩御の為に「迎春」の銘は謹しみがあるので銘は「欽禮」がよろしかろうとした旨述べ返事が遅れたこ
とを詫びている。 高橋蓬庵(彦三郎)宛
私は茶を嗜なまないが茶杓は20本程作った事がある。茶杓に添状がついていた為に購入したが、2通の添状は掛軸に仕立てゝ12月、1月には茶室に掛けて楽しんでいる。
(注)2015年鈍翁の茶杓を購入した際、同年4月28付けにてアップした記事を下記に再アップします。茶杓の銘「欽禮」のいきさつ等詳しく載せてますのでご参考ください。