日本の言論 丸山眞男 座談より 1966年1月
丸山眞男と朝日新聞の最高責任者森恭三の対談である。
戦後20年経過し、当時の日本は政治、経済、外交、防衛、思想、教育と極めて複雑な状況に直面していた。その中で言論の自由とどう取り組むかを正面から語っている。
森の発言 第一は第二次大戦について
1.反省として、「新聞が本当にしっかりしておれば、あの戦争は避けえなかったとしても、その抵抗精神は戦後の日本人に誇りと勇気を与えることができたであろうと思います。この反省が、良心的なジャーナリストには強いと思います」
2.第二は「占領政策に対する反発です。平気で180度の転換をやってのけるアメリカの政策のご都合主義に対する反発が日本新聞の批判精神を強めたことは否定できなません」
3.第三はイデオロギーです。戦前戦中の天皇制や国体論の神秘主義とは正反対の「科学的なものと考えられたイデオロギーにとびついていたこと。そのイデオロギーがどのような風土に育ったものか、といった理解や反省もなく、かって全体主義を受け入れたのと同じ安易さをもって受け入れたのです。
4.第四は安易な自由観です。戦前派のジャーナリストは、不自由の経験をもっているだけに、言論の自由のありがたさや、その限界をわきまえているのですが、戦後派の中には、言論の自由に 随伴すべき責任感をもたぬものも なきにしもあらずです。
5.事実報道の仕方をめぐって では
いわゆるマスコミ論のなかには、ブルジォア新聞は独占資本に奉仕するものだ。そこには真実の報道はないと、頭からイデオロギー的にきめてしまい、具体的な観察に基づかない議論が多いと思うのです。業務局による編集局による介入や、広告資本の圧力といった問題はわれわれに関するかぎりないと断言できます。
6.選挙と不偏不党について
私達としても、今度の選挙ではどの政党を支持するかということをいいたいのです。しかし実際問題として、新聞として支持し、読者に対しても支持を要請しうるような政党が、悲しいかなないのです。不偏不党ということが問題になると思います。それは真ん中とかどっちつかずという意味ではない。特定の政党や組織の機関誌ではなく、独自の判断によって決定し、選択するという意味なのです。
7.事実報道について
私個人の考えを申しますと、日本ではもう少しかたい、広い意味における政治専門新聞が必要じゃないだろうかと思います。
8.報道の画一化
資本主義のもとにおいては画一性は不可避です。日本の新聞記者は、だいたい大学を出て入社試験を受ける。その若い人たちの考え方がすでに画一されている。もう一つの問題は経営者の心構えです。経営者の独自の見識が欲しいと私は思うのです。
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以上にみるとおり丸山の鋭い問題提出に対して、森の確信に満ちた応答と自己に対する厳しい誠実な意見の吐露は、今日の新聞界にも通ずる考え方であろうと思われる。
今日の朝日新聞の論調をみると、やゝ情緒的なきらいはうかがえるが、政府権力をチェックしようとする矜持はまだ失っていないようにみえて、森恭三の思いは繋がっているようにみえる。