「日本の思想」丸山眞男 岩波新書
1957年11月 岩波講座「現代思想」第11巻「現代日本の思想」所収
1.2018年「はじめての新書」岩波新書80年記念で出版された中に「はじめての新書」
読書案内があり、87人が其々づゝ推選している。
その中で最も多く取り上げられているのが「歴史とは何か」E・H・カーと「日本
の思想」丸山眞男である。
2.こゝでは「日本の思想」を取り上げてみたい。
日本史を通じて思想の全体構造としての発展をとらえようとすると、誰でも容易に
手がつかない所以は、研究の立ち遅れとか研究方法の問題をこえて対象そのものに
ふかく根ざした性質にあるのではないかと問題提起している。
3.更にそれが同時代の他の諸観念と、どんな構造連関をもち、次の時代にどう内的に
変容してゆくかという問題になると、ますますはっきりしなくなると問題点を明ら
かにして、そしてそれは自已を歴史的に位置づけるような中核、あるいは座標軸に
当る思想的伝統はわが国には形成されなかったと結論づけている。
4.ヨーロッパでは最も頑強な「公式」であるキリスト教が長年涵養した生の積極的
肯定の考え方が普遍化している社会でこそ、そこに現実との激しい緊張感がうまれ
るとし、又社会的栄誉をになう強靭な貴族的伝統や自治都市、特殊ギルド、不入権
(フニュウケン 註)をもつ寺院など国家権力に対する社会的バリケードが日本では
いかに本来脆弱であったかゞ指摘される。
5.マルクス主義の登場
大正末期からのマルクス主義からは日本の知識世界に初めて社会的な現実を政治と
か、法律とか哲学とか経済とか個別的にとらえるだけでなく、それを相互に関連づ
けて綜合的に考察する方法を学んだ。
又多様な歴史的事象の背景にあって、これを動かして行く基本的導因を追求すると
いう課題を学んだのである。
6.しかしマルクス主義のよってたつ歴史を捨象して上澄みだけを輸入したことで、マ
ルクス主義が日本にもたらした巨大な思想的意義は近世合理主義の論理とキリスト
教の良心と近代科学の実験操作の精神を前提としたマルクス主義が日本には前提条
件なしで受け入れたことで、その重荷にたえかねたとみることが大量に思想的転向
を出した原因ともみられるのである。
7.㋑ 異なったものを思想的に接合することを合理化するロジックとして、しばしば
流通したのは周知のように"何ん即何そ" あるいは "何々一如" という仏教哲学
の俗流化した適用であったとしている。
㋺ 本来カルチェアの精神的作品を理解するときに、まずそれを徹底的に自己と異な
るものと措定して、これに対面するという心構えの希薄さ、その意味での物分か
りのよさから生まれる安易な接合の伝統が日本に根強くあったのである。
8.明治以降の近代化は政治、法律、経済、教育等あらゆる領域におけるヨーロッパ産
の「制度」の輸入と、その絶えまない「改良」という形をとっておこなわれた限り
合理的機構化にも徹しえず不断の崩壊感覚に悩まねばならなかった。
その第一は日本の実情が共同体的習俗に根をおろしているかぎり、それは本来合理
化、抽象化一般と相容れないものであり、いかなる近代的制度も本来実情に適合す
る事は不可能なのである。しかも「制度」は既成品として各部門でバラバラに輸入
され、制度化の全体的計画性と個別的実態調査との結合ぬきに実施されることが少
ないので、いよいよ理実との間に悪循環をひこおこしたと述べ、日本に新体制を敷
くにあっての現実を見極めることなくすすめたこと、つまり日本の生活風習、宗教、
ならわしを無視して強行したことをあげている。
結論として、日本の伝統的宗教がいずれも新たな時代に流入したイデオロギーに思
想的に対決し、その対決を通じて伝統を自覚的に再生させるような役割を果しえず、
そのために新思想はつぎつぎに無秩序に埋積され、近代日本の精神的雑居性がいよ
いよ甚だしくなったとしている。
9.加藤周一の第7巻に「日本の雑種性」があげられている。
そこに英仏両国民の自国の文化に対する極端に国民主義的な態度があるとして、要
するにイギリス的な特色は学問芸術から服装や生活様式の末端にまで及んでいる。
イギリスの文化は日本でのように医学は外国式で美術は又別の外国式だが、生活様
式は日本流だというような混雑したものではない。又外国の文化に対する強い好奇
心があるが、外国との接触によって本来の原理の展開を豊かにするということにす
ぎない。一種の文化的国民主義が発達している。
日本では港の桟橋も起重機も、街の西洋建築も風俗もすべて日本人が自分達の必要
をみたす為に自らの手でつくったものである。西洋文明がこのような仕方でアジア
に根を下ろしているところは植民地を除いては日本以外にはない。
つまり英仏の純粋種の文化の典型あるとすれば、日本の文化は雑種の文化の典型
ではないかという事で、日本風といわれるものは常に精神的なものばかりである。
註)「不入権」とは 中世ヨーロッパにおいて教会領や俗人の所領が有していた特権で
① 所要内の土地と住民とか負担すべき国家に対する貢租や労役からの免除
② 国家の役人が所領内に立ち入り、その権限を行使する事の禁止(裁判権と警察権)
③ 領主ないしはその代理人が国家の役人にかわってその権限を役使することを意味
する。