千字文
唐の李綽(リシャク)の尚書故実に「梁の武帝は子供たちに書を習わせる為、王羲之の
筆蹟の中から重複しない文言1,000字の模本を作らせたが、一字づつの紙片であって順
序はなかった。武帝は周興嗣(註)を呼び出しこれを韻文になるよう考えてくれと命じ
た周は一晩かかってこの1,000字を用いた整然とした韻文一編を作り上げ武帝に奉じた
がその苦心の為に頭髪が真っ白になったと」述べている。
(註)周興嗣(シュウコウシ)南北朝時代 南朝の人。
梁の武帝が即位した天監元年(502年)『休平の賦』という韻文を奉って大いに賞美され、彼の官位は以来昇進を続けた。彼は文集10巻の外に歴史などの著述百余巻があったといい、文学の才能が高く評価されいた人であった。