管 仲   宮城谷 昌光 著 文春文庫 21年に読んだ本 8

管 仲 宮城谷昌光 著 文春文庫             

 

「管鮑の交わり」で有名な管仲の物語である。

管仲は周都に於いて若者の教育を行っていた。16才の鮑叔(ホウシュク)は周都に修学にのぼって管仲の教えを受ける。管仲は半月後家族の病気のために故郷に帰る。

管仲の居ない周都に興味を失った鮑叔は諸国を巡って鄭の太子に見込まれて、家と従者達を与えられたる。

鮑叔は太子の許しを受けて管仲を鄭に呼ぶが、太子は管仲が気に入らず取り立てない。

鄭の軍事行動に参加した管仲は間(カン)人と疑われて、拷問をうけるが、罪は晴れて釈放され、商人に転進する。友人の鮑叔は、今の生活を離れてこれに同行する。

様々な困難のあと鮑叔は故郷斉の僖公から公子糾の輔弼、管仲には弟小白の輔弼を命じられる。

僖公が崩じると太子諸児は即位し「襄公」と呼ばれる。暴虐な「襄公」に危険を察した鮑叔は小白を連れて斉を脱出する。冷遇されていた公孫無知に「襄公」弑逆されて、後を公子糾と小白が争う。

糾の輔弼管仲に弓を射られて、すんでのところで命拾いをした小白は糾を倒して即位するや、鮑叔の薦めで管仲を宰相に迎える。管仲の政治、軍事、行政能力はやがて斉を諸公に号令する覇者へと導くのである。

 

理想の宰相として名高い管仲を取り上げているが、時の中国の勢力争いの構図が今一つはっきりしていない前11世紀、殷を滅ぼした周王朝は前771年幽王が崩ずると東西に分裂し、東周はまもなく滅亡し、東周も力を失いつゝあり、春秋時代に突入する。

宗主国としての周王朝の権威は未だに残っていたものゝ、実質的な力は諸公に移行していったのである。管仲、鮑叔はまさにこの時代を生きた。

 

そこで極めて大事なのは、この時代がどのような時代であったかを、先ず俯瞰して示す事である。周王朝の実態はどうであったか。

諸公を集めて号令する出来たか、朝貢は行われていたのか、軍事力は、勢力図は、財政は等々。又諸公との関係はどのようなものであったか、諸公間の合従連衝はどのようであったかが、語られていない為にその辺のところが理解しずらい。

又肝心の管仲と鮑叔は非常に能力が高く、高潔な人物であるのは作品中で何度も繰り返

されて良く解ったが、人物像が浮かび上がってこない。それでも管仲と鮑叔の関係はそ

の発想力と行動について理解を深め、教育し合う事によって尊敬と信頼を高め合い刎頸

の友となっていったのである。

 

桓公と管仲の関係は、自分の命を狙って弓を引いた管仲を鮑叔の勧めはあったが、宰相に据えた懐の深さを考えると何か中曽根首相と後藤田官房長官の関係が思い起こされる。

後藤田は中曽根の政策実行に関して、自分の考えを決して曲げることなく、諌言をしており、実行を止めている。後藤田は中曽根を「私は彼を人間的に好きではないが、だからと云ってともに仕事が嫌だと言うのではない」と語り、中曽根は後藤田を「私はタカ派で彼はハト派だ。自分が暴走しそうになると、彼はそれを止めてくれる」と語って、二人の関係を明らかにしている。お互いに信頼と牽制といった緊張感に満ちた関係であり、互いに成熟した政治家達であったことを窺わせる。

 

国会答弁で官僚の書いたメモを棒読みにする一方、裏では自分の意に沿わない人物達を強権を振って容赦なく切り捨てるどこぞの総理大臣は、桓公と管仲の関係を勉強して欲しいものである。実に見苦しい。