「失われた時を求めて」 プルースト
1.「失われた時を求めて」は20世紀を代表する作品で、世界の文学に絶大な影響を与えた。日本の文学者でこの作品に影響を受けない作家はいないと云える。
この大作の冒頭に「長いあいだ、私は夜早く床に就くのだった。ときには蠟燭を消すとたちまち目がふさがり ”あゝ眠るんだな” と考える暇さえないこともあった。しかし30分程すると、もうそろそろ眠らなければという思いで目がさめる」という眠っているか起きているか不安定な意識の描写から始まる。丁度フロイトが「夢の解釈」を出版して直ぐの作品である。
「母が召使いに命じて熱い紅茶とプチット・マドレーヌを持ってこさせ、そのマドレーヌのひとかけらを紅茶と共に口に含んだ途端に、ある快感に襲われ、満たされた気持ちになる」というあまりに有名な一節が出てくる。無意志的な記憶の言語化が始めてプルーストによってなされた。
さて、第一章の「スワン家の方へ」でコンプレーのまわりには散歩の為の二つの方向があって、一方はスワン家の前を通る為に、スワン家の方と呼ばれ、他の一方はゲルマント家の屋敷の方である。スワンは裕福なユダヤ人で演劇や文学、絵画などにも造詣の深い教養人でゲルマント家のサロンにも出入りが許されていたが、高級娼婦(ココット)だったオデットと結婚した為にゲルマント公爵夫人から出入りを拒否されるようになる。
地方の古くからの領主ゲルマント家はその歴史もある事から特別な存在とみられており、ゲルマント公爵夫人のサロンに出入りする事が出来るのは貴族の中でもとりわけ選ばれた人達のみで、社会的身分、地位があるとみられていた。ここには学者や芸術家も招待されて一大文化の殿堂となっていた。とりわけゲルマント家の人々と個人的に親しいとなると又別のステータスとみられた。公爵家の内輪の晩餐会に参加するとなれば、上級階級の心臓部に入り込む事となる。一方ブルジョワのヴェルディラン夫人のサロンでは貴族社会には近づけない裕福な人達が集まり、ヴェルディラン夫人は貴族を「やりきれない連中」と呼んで軽蔑する振りをしていたが、やがて夫の死後にゲルマント大公と結婚して、貴族に成り上がるのである。
巧みに変身していくのだ。これぞ ”スノッブ” そのものである。
時は晋仏戦争で、仏が敗北し、またユダヤ人が多くフランス内に入り込んできた時代であるり「ドレフィス事件」が起こり、ユダヤ人の軍人ドレフィスがスパイとして摘発され孤島に流刑となる。
この事件をめぐって、貴族階級を中心とした保守系が反ドレフィス派となり、親ドレフィス派と国を二分する事となる。親ドレフィスのスワンはこれで決定的に上流階級から排除されていく。夫人のオデットは反ドレフィスの旗幟を鮮明として上流階級に受け入れられてゆき、スワンとの間に亀裂が入って行く。
2.この作品のテーマの一つにスノビスムがある。
貴族社会の中でのスノビスムが執拗に語られる。貴族社会の多くの人々が世評の定まった物事をのみ自分の評価とし、自分達がゲルマント公爵夫人のサロンに入った事を他人に知られたい、他人の目に映る自分の姿こそが何よりも彼らに満足を与えるのである。
この作品はそのほとんど総ての人がスノビスムに侵されているのだ。
プルーストはこのような見栄の張り合いで滑稽なスノビスムに侵された人達をこれでもかと熱心に描いていたが、今日に至るも人間誰もが持っている普遍的な法則とも云うべき性格であるからであろう。私自らを顧みても、自分の主体的判断そのものゝ大半が他者に支配されていると思わされる事が実に多い。
ここに描きだされたスノップ達を笑う事は出来ないし、プルースト自身がスノップであったのかも知れない。
3.ドレフィス事件
1894年にフランス中を揺るがせたもので、スパイに仕立て上げられたドレフィス大尉が位階を剥奪されて、南米ギアナの悪魔島に流刑になり、フランス中にユダヤ人=(イコール)売国奴の大合唱が起こる。1898年にゾラが「われ弾劾す」の一文を書いて公然と軍部を中心とした陰謀を糾弾。国論を支持派、反ドレフィス派に二分したが、無罪確定したのは1906年の事である。ユダヤ人達が必ずしもドレフィス支持派となったとは言い難く、自分達の身を守るために自分達よりも当時下層とされていたユダヤ人達を攻撃する事態も多くあったのである。
4.同性愛
当時同性愛はタブーで、最も罪深い事とされていた。典型的な同性愛者として、ゲルマント公爵夫人オリアーヌの叔父シャルリス男爵が登場しているが、彼は金もあり、身分も高く、高い教養もあり社交界で絶大な権威を誇っていた。ゲルマン家のサロンの常連であり美男ではあるが、酷薄な性格のヴァイオリニストのモレルを愛人としていた。そのモレルにも捨てられて尚快楽を求めて、自分の身体をベットの縛り付けさせて鞭で若い男に打たせて血まみれになりながら快楽に浸る老いたシャルリス。しかしまた晋仏戦争に突入すると国を挙げて戦争に協力しドイツ憎しが、フランス中を覆う中で、この風潮を嘲笑し嫌悪する知的な人物でもある。同性愛者はゲルマント公爵も夫人の甥のサン・ルーも同じ性癖を有しており、マルセルの愛人アルベルチーヌも同じである。
5.嘘
アルベルチーヌとパリのアパートで同棲を始めたマルセルは彼女の嘘に悩まされる。また彼女の同性愛にも疑いを持ち嫉妬に苦しむ。そして彼女を部屋に閉じ込めるのだ。
彼は彼女と別れる決意をするが、アルベルチーヌはある日突然置き手紙をして家を出る。彼女は叔母の家に身を寄せていたが落馬して命を落とす。その後彼女の素行を知ったマルセルはすでに亡くなった彼女の同性愛に苦しめられる。
プルーストはアルベルチーヌを特別な嘘つきとして描いてはいない。善意である事の為にも、日常生活を円滑進める為にも嘘をつくものなのだと思い知らされる。プルーストは人間を描いているのだ。
6.見出された時
マルセルはこれらの経験を踏まえて、また記憶の持つ役割も見定めて、文学に取り組む決意をする。プルーストは子供の頃の柔らかい感覚や等しく誰もが持っている夢や無意識下の出来事の思い出を描き出して壮大な全体小説を作り出したのである。
日本の文学者で最もプルーストの影響を受けたと思われる作家に中村真一郎がいる。
5部作の第一部「死の影の下に」を1944年の春に起稿し、第二部「シオンの娘達」を1945年の夏から翌年にわたって書きあげている。
主人公の城栄が父の死に「永い間の苦しい不安から今こそ決定的に開放されたという利己的な喜びに興奮する」場面、また「想い出と云うものはそれが自発的にこちらの心の闇の底に或る神秘的な動機によって眼覚めたのでなければ何らの感慨を呼び起こさない」等はプルーストに強い影響を受けている事を明らかに示している。
中村は多くの日本国民が戦勝気分に浮かれている中で、既に1942年に加藤周一、福永武彦達と「マチネ・ポエティク」を結成し、また「世上乱逆追討、耳に満つと雖も、之を注せず、紅旗征戎吾事に非ず」とばかり、この「死の影の下に」をプルーストの強い影響下のもとに制作を開始していたのである。徹底した平和主義者の中村の面目躍如たるものがある。