作品 司馬遷の史記より『高祖本紀』  2022年8月20日

司馬遷の史記により『高祖本紀』

史記は紀元前92~89年に書かれた一級の歴史書であるが、人間探求の書でもある。当時遊牧民族「匈奴」は中国を脅かし続けてきた。秦の始皇帝に「万里の長城」を築かせたのは「匈奴」対策の一環であった。漢の武帝時代、総力を挙げての戦いが始まり、少壮気鋭の指揮官李陵が不屈の闘いを続けたが、少数の兵力もあって力尽き、匈奴に降服。朝野の増悪は彼と彼の一族に集中したが、その中で司馬遷は武帝の下問に答えて李陵弁護の論陣を張った。この事は武帝の怒りを買って死刑の宣告を受けるが、死刑を逃れる道は唯一つあり、それが生殖器を切断する宮刑であった。司馬遷はこれを選択。生き恥をさらした司馬遷は歴史書の執筆を続行し遂に完成した。やがて帝朝の歴史編纂者=太史令となった彼が、帝国の意に沿わない記述書であっても、彼は既に死んだ人間である事がこれを可能にした。

さて『高祖本紀』であるが、漢帝国滅亡の後をめぐって項羽と劉邦の激しい戦いが繰り広げられる。才能が有り余る項羽が部下を信ずる事が出来ず、最後の拠り所であった軍師范増を失う決定的な失敗によって滅ぶが、自らの実力を自覚して、部下の才能を上手く活用した劉邦が天下を治めるのである。司馬遷はその人となりを実に的確に書き表わしており、また全体を貫いている司馬遷のキーワードは人間の情念というか、怨恨というか、これにあると思われる。