「図書」岩波書店 2023年 10月号に『「民主主義」と「道徳」の奈落 』白井 聡 が掲載されている。
そこに極めて重要な指摘がある。「見落としてはならないのは、スターリンの覇権確立は、単なる独裁ではなかったことだ。そしてその過程では古参のボリシュヴィキ党員が蹴落とされたが、スターリンが依拠した権力基盤は年長のインテリィ党員と入れ替わりにポストを得た労働者階級出身の比較的若い党員たちだった。それは一種の平等化であり、その意味で民主主義的であった。
社会主義リアリズムにも同様な面がある。革命期に高揚したロシア・アヴァンギャルド芸術は形式面での実験性ゆえに難解であり、大衆的ではなかった。前衛芸術を形式主義であると弾劾することによって成立した社会主義リアリズムは、大衆的あることに根拠を置いていた。ここにも民主主義がある。
大衆の名において作用する権力、自らに作動してくる強権の背後にそれを支持する大衆がいること、このことが表現者に与える打撃は大きい。
( 中略 )かくして今日の全体主義は、カリスマ的独裁者など必要としない。必要なのは、大衆の平準化への欲求、この欲求から生ずる知識人への増悪であり、大衆の欲求に忠実な権力だ。かの菅政権にしたところで知識人に対する攻撃が ” ウケる ” と踏んだからこそ任命拒否に及んだのであり、世論の反応を見るに、この見込みは誤っていなかった。」 と述べている。まさに慧眼と言うべき指摘である。
振り返ってみれば、米国は1823年モンローが宣言したいわゆる「モンロー主義」に依拠して、欧米両大陸の相互不干渉を外交政策の原則としてきたが、これを破って第二次大戦に参戦したのは偏に国民大衆の支持があったからであり、国民の支持なくして戦争は絶対に、たとえいかなる絶対権力者であっても始められない。為に米は日本の真珠湾攻撃を事前に知りながら許容する事によって国論を統一する策を図ったのである。
日本の参戦も然り、1982年のイギリスのフォークランド戦争も、1990年のアメリカの湾岸戦争、2003年のイラク戦争も、そしてドイツのヒットラーも然りであった。
いずれも国民の圧倒的支持を基盤として実行されたもので、これも国民の多数の支持を獲得した事をもって、民主主義と言う事ができるのであり、ここに奈落があり陥穽がある。