1.堀田善衛全集の第十六巻に「感想」(**巻末の原文を参照下さい**)と題した一文が掲載されている。1959年10月10日号「ひろば」に「歴史と運命」として収録されたものである。
さて、そのいきさつは東京都民銀行に労働組合が「従業員組合」と命名して発足「皆さん組合をつくりましょう」から始まるアピール、つまり檄文を発表されたが、この文章を書いたのは組合委員長小西与志一氏であった。
しかし堀田善衛の危惧したとおり銀行はすぐさま会社のお声がかりの第二組合をつくり、従業員組合の殲滅を図ったのである。当時は就職氷河期であり職員の企業に対する従属意識が社内に充満しており、ヨーロッパに確立されていた自然権は日本には存在すらせず、従って労働者としての自覚も矜持も持った者は極めて少数であったのである。
当然の如く組合は脆くも崩壊、第二組合に吸収されてその結果、銀行のお先棒を担ぐ事によって出世を狙ういじましい組合執行部が陸続として輩出し、組合は銀行が願ってもそこまでは出来ないというような事を率先して提言・実行する役割を担っていったのである。
些かでも銀行に批判的な言動があれば昇格や処遇に容赦なく差別が行われたのは言うまでもない。
2.1946年、戦後の経済の復興を促進する為に「復興金融公庫法」に基いて政府の出資つまり日銀引き受けの復興金融債の発行によって調達した巨額な資金を「傾斜生産方式」のもと基幹産業に集中的に資金を融資する事によって産業全体へ波及するとの名目で「復興金融公庫」が設立された。
しかし「復興債」の大量発行による「復興インフレ」を引き起こし52年「日本政策投資銀行」に引き継がれて解散している。
その理事長が復興金融公庫解散のあと間をおかずして中小企業を援助する為として東京都民銀行を設立した工藤昭四郎である。
急ごしらえの銀行で現場の中心となるべき支店長、次長は工藤がその人脈を生かして、かき集めた人達であったのか銀行業務を全く知らない者ばかりであった。一般職員も事務の教育を受けることがないまゝ現場に配置され、日常業務に支障を来すのが実態であったのである。一企業としてその態をなしていなかった。
やがて新しい役職が創設されるに従って、残業代はカットされ、麻布支店を例にとれば貸付係の残業は月二百時間を超える事態が続いて人権無視の無法状態となっていた。
組合は当然のごとくこれを放置していた為にやむなく私個人として労働基準局に申し立てを行った。基準局では銀行に改善を勧告、銀行は組合執行部を身替りの代理人として私と交渉にあたった。最終的に逃げ切れないと判断、残業代を支払う事について私と合意、ただし一年前に遡っての支払いは勘弁して欲しいとの条件をつけた。銀行は一年に数億の支払いを実行する事となった。銀行業界として実質残業代を支払ったのは東京都民銀行たゞ一行だったのである。
そもそも出勤、退社も自由で人事権を有する者以外は労働者であり、残業支払いの対象である事からも当然の処置ではあった。しかし銀行からの報復として役職対象となる数百人の中で唯二人除外されたがその一人は私、もう一人は長期休職者であった。
その後銀行は三光汽船の社長であり、その後も実質的オーナーで自民党の大臣等役職を歴任した実力者、河本敏夫に対し無担保で15億の融資を行い、結果焦げ付いたがこの事態に対し職員に弁明も、説明もなくその責任の所在を隠蔽した為、私個人として頭取田中保一郎に対し質問状を郵送し、退陣を要求したが回答は替わりに人事部長が対応「頭取の奥さんが心配しているのでこういう事はやめて欲しい」との事。第一、人の手紙を他人が読む事もどうかと思われたが、私の気持ちの中に同じ人間、何とか話せば理解しあえるのではと思うところがなかったとは言えないが、この現実をみて、このような人物がトップに居る企業では居る意味がないと思うようになったのである。
堀田善衛の文章を読んで当時の事を今でも生々しく思い出す。(完)
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「感想」 ( 堀田善衛全集の第十六巻より)
編集の方から、組合が出来たので、という話を聞いたとき、実は私はびっくりし、かつ、少々は呆れた。東京都民銀行のような大きな企業に、これまで組合がなかったということを、私は想像することも出来なかったからです。どうも恐れ入った銀行だな、というのが率直な感想でした。
それで、頂いた「ひろば」1月15日号で「東京都民銀行の組合づくり」を読み、また「皆さん組合をつくりましょう!」というアピールを見、つくづくと一つの組織をつくり上げるための苦労のほどを知りました。そのアピール文は、なかなかの名文です。それは日々の生活の現実にぴったりと裏打され、かつその現実が押し出した情熱と、様々な配慮が一つになっていて、切実で美しい。美しい文章とは、美文のことではありません。
また「組合づくり」の方は、上部からの圧力のかかった環境のなかで、その圧力自体がそれに抵抗する組織を生んで行く、その過程がよくわかって、これも私には勉強になりました。今後の進路も並大抵ではないでしょうが、立派な組合になって行くようにと祈る気持ちが湧いて来ました。
はなむけのことば、というのではなくて、労働組合というものの社会的な重要性を一言で言い抜いている、フランスの哲学者のアランのことばをここに添えておきたいと思います。
「現実の自由は、権力に対して絶えず鉾先を向ける組織の存在を前提とする。それは人間世界の法則の明白な証拠であり、市民の唯一の希望である労働組合はそのほんの第一歩に過ぎない。」
労働組合が弾圧されるとき、現実の、市民一般の自由が必ずやせばめられるということは、歴史にも明らかなことです。