「梨の花」 中野重治 新潮文庫 (初版1959年 昭和34年)
この作品は1980年代半ばに読んだものであり、強い印象を持っていた。40年振りに読んだが当時井上靖の「しろばんば」を読んだが作品の内容の深さに大きな差があったのを記憶している。40年振りに読んでその作品の完成度の高さを改めて確認した。
この作品は中野重治の自伝的小説であり、小学1年から中学1年までの高田良平の生活振りと意識の変化、福井の生活と人々の人情と結びつきと事細かにな出来事が一つ一つ詳細に語られており、その記憶力には唯々驚くばかりである。
先ず、「橋の詰からちょっと行ったところ岸の草のところにしゃがんでいつものおんさんがやっぱり鮒を釣っている。魚を釣るものは仰山いるが、このおんさんのようなのはいない、このおんさんは何が商売なのか、誰にも ー 子供には ー 分からない。このおんさんみたいに、年100日中さかなを釣る大人は外に居ない。それでも魚つり商売でないことは子供にもわかっている。
このおんさんは青ぐろい顔をしている。煙管をくわえて、腰に犬の毛皮の四角いのを下げて、それを敷いて岸に腰を下ろしている。誰とも物をいわぬ、子供にもにこりともしない。良平たちは大人でも魚釣りにはバケツを提げて行く。ブリキの小判型の箱で、上に網が張ってある。箱に水が入っている。釣れたのをその中にいれて上で網をしぼる。
誰でも釣れると声を出して叫ぶ。『釣れた・・・・』『釣れたぞ・・・・・』叫ばぬまでも笑い顔になる。このおんさんはだけは一つも声を出さなぬ。にこりともしない。黙ってブリキに入れて黙ってまた糸を投げる。子供達もあんまり傍まで行っては悪いような気がする。このおんさんが何の病気だという事を良平は知っている。誰から聞いたかは知らない・・・・・・」と続く。
臨場感溢れる表現であるが、全編この詳細を極めた文章が続くのだ。
主人公の高田良平は祖父母と暮らしており、父母は妹二人と朝鮮で生活している。その事で淋しいと思うこともない。「もうじゃこっちゃ。こん家や麻木あないがいのっていうたら、小角の後ろに作ってあるっていいなるんじゃがいの・・・・」このような福井弁が語られてまことに心持良く、土地の人々の生活振りや町のたたずまい、人情が手にとるように知る事ができる。長年の歴史に裏打されたこの言葉は、その地方の人々身体にしみ込むように存在し、人と人との結びついをより緊密にするのが良く分かる。
また、食べ物も数多く出てくる。現代の人々が食した事のないものもあり、いかにもうまそうである。「むかご飯」は私も昔庭に沢山のむかごが生い茂っており「むかご飯」は食べた記憶がありなつかしかった。
良平が5年生の春、級長になった頃から、同級生の谷口タニと結びつけて女生徒から「たか、たに、た、ぐちィ・・・」と囃し立てられ始めて、それが拡がって行き、良平は痩せる程苦しむ。良平は以前から生意気くさい奴と思って気にはしていた谷口をはやされる事によって急にその美しさを認識するようになり良平にはそれがたまらなかったのであろう。谷口は良平が中一の時に 一 家夜逃げして行方不明となる。題名の「梨の花」は「西の方の窓から盃小舎の前の梨の木の花が見おろせる。やはりまっ白くなって咲いてる。『どうしたんじゃろう』
いつやらはあんなにきれいに見えたのが一ある時はそれまで美しいと思って見たこともなかったのが「日本少年」の口絵そっくりと美しく見えておどろいたのだったが 一 今日はちっとも美しく見えない。咲いているのはわかる。花だから穢くはない。しかしたゞそれだけできたなくもないがうつくしくはちっとも見えない」
良平が谷口タニを見る目もしかりで成長するに従って今まで見たものの評価が変わってくるのをこの一節に集約しているのかも知れない。
子供の頃の生活、物事、周囲の人々、自分の心の動きをこれだけ詳細に語り尽くした小説は外に類を見ない。また戦後全国で方言を排し標準語を強制する教育がなされた。沖縄では方言を使うと罰として首から札を下げさられたのである。ヨーロッパでも各国のすべてで地方語が使われているが、学校ではこの地方語を残すべく授業に取り入れているところが多いというのだ。日本全国の特に都市部が東京化している現在、このような小説が生まれる状況はすでに存在していないのだ。