「エレクトル」 ジャン・ジロドゥ 戯曲
この戯曲は紀元前5世紀初めにアイスキュロス、ソポクレース、エウリピデース至るギリシャ伝説の復讐物語である。
トロイを攻略したギリシャの総大将アガメムノンは10年に及ぶ戦争に勝利してアルゴスに凱旋する。しかし王妃クリュタイメストラとアガメムノンの従兄弟アイギストスに計られ浴槽で刺殺される。
以来末娘エレクトラは復讐の念に燃えて、弟オレステスの帰国を待ち望むのだ。成人して帰国したオレステスは母クリュタイメストラとアイギストスを殺害するが、復讐の女神エリーニュエスに追われ、諸国を放浪し、やがて発狂するという物語である。
ジロドゥはこの物語の中に狂言回しの乞食を創設し、重要な役割を振りあてゝいる。エレクトラとクリュタイメストラ、エレクトラとアイギストスとの間に誠に容赦ない激しい論戦が繰り広げられるのだ。しかし登場人物の一人、裁判長は「正義、高潔、義務でもって人は国家や個人、良き家庭を滅ぼすのだ」「エゴイズムやだらしなさではない」「この3つの徳は人間にとってたった一つの要素を含んでいるからだ。つまり人間の仮借なき追及の虜とするのだ。幸福は執拗に追撃する者の手にははいらぬ。幸福な時代、幸福な家庭、それは全面的な城明け渡しだ」「エレクトラが我々の従姉妹になって見給え、10日もたゝぬうちに親類の過去や不道徳や罪が発覚するとそれまでの平穏な生活は一変してしまうのだ。そしてお互いに言い合うのだ。あゝやれやれエレクトラがやって来た。あんなに平穏だったのに」と語る。
やがてコリントスの軍勢が宣戦布告もなしに攻め込んで来る。これを防げるのはアイギストスが王として姿を国民の前に現わす以外にない。アイギストスはエレクトラに「この国を何とか救いたい。その後に王位を返上することは無論のこと、いかなる罪も引き受ける」と懇願するが、エレクトラはこれを認めない。やがてアイギストスとクリュタイメストラはオレステスに殺害され、アルゴスは灰塵に帰すのである。
登場人物の総てが、いずれに正義があるのか結果的に出た結末が正しいのか各自が全力を傾けて言論で渡り合うのである。
ジロドゥの戯曲を読んで毎回思うのは、それぞれが様々に異なる意見を究極まで妥協する事なく戦わす事によって培われた経験の蓄積がヨーロッパ市民全体の中に深く浸透し、社会生活を送る上での規範はこうして生まれたのだと云う事を思い知らされる。日本人には体験はあっても経験の蓄積は残念ながらないのだ。
ジロドゥは実に奇知に富んだ言葉を操り、特に他人と議論する事に不慣れ、そして避ける日本人に厳しく迫ってくるのである。
考えてみると何かロシアとウクライナとの戦争と停戦の条件をめぐる様々な意見が浮かんでくる。
正義はすべてウクライナにあり、ロシアには些かも無い。侵略された土地を総て回復しなければ停戦に応じられないとのウクライナの主張は全く正しいが、その事によって又多くの人命が失われるのも事実である事を「エレクトラ」を読んで思うのである。
この戯曲は1937年5月13日にパリのアテネ座に於いてルイ・ジュヴェ演出で初演されている。乞食をルイ・ジュヴェが、エジスト(アイギストス)をピエール・ルノワールが演じている。
なお、ルイ・ジュヴェはフランス演劇界の大立者でフランスの至宝と呼ばれている。
映画にも出演し、ジャック・フェデーの「女だけの都」、ジャン・ルノワールの「どん底」、ジュリアン・ディヴィヴィエの「舞踏会の手帖」、マルセル・カルネの「北ホテル」等に出演し見事な演技を披露している。
ピエール・ルノワールは印象派の画家オーギスト・ルノワールの息子で、映画監督のジャン・ルノワールの兄でもあり、舞台俳優でマルセル・カルネの映画「天井桟敷の人々」の中の古着屋として出演している。またジョルジュ・シメノンのキャラクターであるジュール・メグレを演じた最初の俳優でも知られている。他にラ・マルセイエーズ、十字路の〇、ボヴァリー夫人、地の果てを行く、等も出演している映画俳優でもある。