「ミシェル城館の人」堀田善衛 集英社 上・中・下    2023年11月1日

「ミシェル城館の人」堀田善衛 集英社 上・中・下

16世紀の代表的ユマニストとして知られるミシェル・ド・モンテーニュは1533年2月28日ボルドウ市から東60㎞程のモンテーニュと呼ばれる丘の上の城館に生れた。カトリックとプロテスタントの血で血を洗う壮絶な闘いと各国の王権を廻る闘いとその中で花咲いたルネッサンスまさに激動の時代で、1572年のサン・バルトロメオの大虐殺では旧教徒の母后カトリーヌ・ド・メディシスが首謀し宮廷内の新教徒貴族4,000人以上を虐殺(注)

1598年のナントの勅令で新教徒の礼拝の自由を認める事によって長く続いた紛争の一応の終結を見たのである。

ユマニスト  モンテスキューの無二の親友ボルドウ高等法院在勤エティエンヌ、ド・ラ・ボェシー26歳の「奴隷的隷属」についてという論文に「実際すべての国々で、すべてのひとびとによって毎日なされていることは、ひとりの人間が10万ものひとびとを虐殺し、彼等からその自由を奪っているということなのだ。これをもし目のあたりに見るのでなく、たゞ語られるのを耳にするだけならば、誰がそれを信じようか。(中略)しかし、このただ一人の圧制者に対しては、それと戦う必要もなく、それを亡ぼす必要もない。

その国が彼等に対する隷従に同意しないだけで彼は自ら亡びるのだ。(中略)それ故、自分を食いものにされるにまかせ、また、むしろそうさせているのは、民衆自身ということになる。隷従することをやめれば、彼等はすぐそのような状態から解放されるのだろうから。民衆こそ自らを隷従させ、自らの咽喉をたち切り、奴隷であるか自由であるかの選択を行って、その自主独立を投げすて軛(くびき)をつけ、自らに及ぶ害悪に同意を与え、またはむしろそれを追い求めているのだ。(中略)

私は民衆が安楽に暮らすことへの疑わしい期待よりは、みじめに暮らすことへの何か分からないが確実な見込みといったものゝ方をより好んでいるということを、仕方がないと思っている。更にこうも述べている。「人は自由を求めてついに警察国家を組織するに至る。「一人」につまり一個人に権力を持たせれば、必ずや、いつかは専制国家に至る」今日の世界や日本によくあてはまる。まさに慧眼と言うべきである。500年も前と人類は些かも進歩していないとつくずく思わされる。

(注)新、旧教徒の中で多くの信徒が火刑台に昇っており、ユマニスト達の少なくない人達、イギリスのトーマス・モアーを始め同様の犠牲となっている。