歌舞伎 「荒川十太夫」をみる  2024年1月28日

歌舞伎「荒川十太夫」をみる。

 

久々に歌舞伎を見た。演目は「荒川十太夫」であり、赤穂義士外伝である。

吉良上野介を討って亡君の恨みを晴らした義士のうち、大石主税、大高源吾、不破数右衛門等と伊予松山藩に身柄を預けられた堀部安兵衛の切腹から始まる。

 

安兵衛は200石の馬廻役と身分が高い事から、介錯人の名前と身分を尋ねる。

つまり自分に相応しい人物を望んだのだ。安兵衛の思いを知った介錯人十太夫は、自分の身分を偽って物頭であると伝える。安兵衛はこれを聞いて満足して死んで行く。

 

十太夫は以後偽りを言った事に苦しみ、命日には物頭の衣装をつけて、その都度従者を二人雇って、安兵衛の墓参を行っていたが、ついに上役に出合って身分を偽っている事を咎められ、藩主の屋敷に出頭させられる。

主君の伊予松平隠岐守の追及を受けた十太夫は、安兵衛の切腹の経緯を語ることになる。これを聞いた隠岐守は赤穂義士に勝るとも劣らぬ侍と言って讃えるが、身分に詐称は罪であるとして、100日間の謹慎を命じ謹慎が明けたら物頭に取り立て200石の扶持を与えるという物語である。

 

江戸時代初期は代々の慈悲、愛情、武勇によって直接結ばれた主従関係がつよかったが、三代将軍家光の時代に入ると公的な君臣関係が次第に定まり、厳然とした身分の差別が確立してくる。

幕府の決定は厳格となり、例え藩主といえども、これに逆らう事は出来なくなる。( 将軍の親族といえども例外は許されなかった。) 松山藩主の隠岐守の行為は幕府の方針から著しく逸脱しており、決して許される事ではないのは自明の事である。

従ってこの物語は無理があるのだ。更に赤穂浪士の討ち入りも幕府の決定に対する反逆行為であり、この作者はそれらの事についてどう考えているのか疑問である。

 

すべての人間関係を上・下、主従という縦の関係で固定する江戸幕府の体制に対して、やがて来る縦関係よりも横のつながりを重視する考え方が、下級武士の間に広がり、江戸幕府倒幕、そして明治維新へと続く、その萌芽が、討入りや、十太夫の行動にみえていたのではなかろうか。この作者には、登場人物のすべてが、この歴史の流れとは何の関係もない、たゞ単純で極めて小さなことにのみこだわる、小さな人物としか表現されていない。矮小な物語にしてしまっていて、歌舞伎を低俗な見世物に貶めているとみられても致し方ない。