以前から蕪村が、句も絵も字も好きであった。
俳画の全てと墨絵淡彩の「夜色楼台図」が素晴らしい。
先ず下地に胡粉を全体に厚く塗ってその上に濃淡の墨で、
雪の白さを際立たせて山と麓の寒村を見事に表現している。
また京都北山美術館蔵の「鳶」「鴉図」がすごい。
強風の中枯れ枝に止って風雨に向う鳶一羽。
茶色と墨で描かれた羽毛の美しさ。刷毛で一気に描かれた
風雨の描写。
一方の「鴉図」は二羽の鴉の目が際立つ。雪の降りしきる
極寒の中、ふてぶてしく、ずるがしこく、たくましく生き
る目である。塗り残した雪の表面も美しい。
蕪村が尊敬して止まなかった芭蕉の「奥の細道」を取り上げた
絵図と並んで四点は飛びきりの作品である。
ところで俳句である。蕪村全句は何度も読み返してきたが、私の好みの
句を70点選んで取り上げる事とした。蕪村の俳画も知るかぎり合わせ
る事とした。
1.三椀の 雑煮かゆるや 長者ぶり
正月に祝う雑煮を三椀もお替りするとはなんとも長者のよう
ではないか。庶民の慎ましくも暖かな生活振りがみえてくる。
2.梅咲きて 帯買う室の 遊女かな
室は現在の兵庫県室津港で、当時は交易の要衝であった。
当然遊郭があって賑っていた。梅の花が咲くと遊女達が帯を
買い求める姿がみられた事であろう。彼女達にとって衣裳
を買う事が唯一の楽しみであったのだから。
3. 春雨や もの書かぬ身の あわれなる
一日中降り続ける春雨と筆を持たず、果たして書けぬのか、
書かぬのか無為のうちに過ごすことの身はなんとしたことか。
書を少々嗜む者の一人として思い当たるのである。
4. 古井戸の くらきに 落る椿哉
江戸時代に白い椿は果たしてあったものかは分からないが、
こゝは断然白椿がふさわしい。古井戸の暗さと椿の白さを思
えば蕪村が画家であることが頷ける。
5. 伏勢(フセゼイ)の 錣(シコロ)にとまる 胡蝶哉
レマルクの「西部戦線異状なし」に塹壕に潜む若き兵士
パウル・ボイメルの目の前に蝶が一匹飛んでくる。その蝶に
思わず手を伸ばしたとき一発の銃弾がボイメルの命を奪う。
この日の西部戦線は戦闘がなく異状なしとラジオは報じた。
この句はこの場面を連想させ、修羅場を前にした一瞬の緊
張感をかもし出している。
6. 傾城は のちの世かけて 花見哉
遊女達はやむなく手練手管で客を騙すが、苦界の中で年に
一度の桜の盛りを来世まで続けの思いで楽しんでいる。
束の間の儚い楽しさである。
7. 又平に 逢ふや御室の 花盛り
花に浮かれて踊りだす、蕪村画の絵があまりにも有名。 ( №441 )
8.あちら向に 寝た人ゆかし 春の暮
妙齢の佳人に違いないと連想する楽しさ。
9.春の夕 たえなんとする 香をつぐ
夕闇せまる室内でとりとめもなく香を焚いて物思いに沈む。
私の大好きな句。
10.梨の花 月に書(フ)ミよむ 女あり
月の光りを頼りに文字を読む歌人の楚々とした美しい
姿である。フェルメールの手紙を読む女を連想される。
11.いとはるゝ 身を恨寝や くれの春
想う人から疎まれるわが身を嘆いて寝入ってしまった。
可愛そうなわたしであることよ。
12.ゆく春や 美人おのれに 背くかな
春を女性に擬した作で春が去ってゆくのは、美人が私から
去って行くようだとぼんやり思う。
13.きのう暮れ けふ又くれて ゆく春や
昨日という一日が暮れ今日も又暮れて春は過ぎ去ろうとしている。
老年となった私にとっても実感の迫る句である。
14.手燭して 庭ふむ人や 春おしむ
残り少ない春を惜しむ人が、手燭をもって夜庭を歩く。
前句と同じ感慨が私もつゝむ。
15.ゆく春や 同車の君の さゝめごと
王朝ものである。車は当然牛車、肌さむい夜、車の中での
男女のささやき。
16.女倶して 内裏拝まん おぼろ月
おぼろ月夜に誘われて女とそぞろ歩きするうちに王朝貴
族となって、内裏を拝みたい気分になったと言う事でも
あろう。
( №443 )
17.錦木の まことの男 門の松
求愛の為女の家の戸口に男が3年たて続けてたてたと云う。
緑の松に変心なき意を込めたもの。 ( №444 )
18. 花の香や 嵯峨の燈火 きゆる時
嵯峨の夜桜の灯が消えて花の香が漂よってきた。
視覚と嗅覚を感じさせる巧みさ。 (№445)
19.我門や 松はふた木を 三(ミツ)の朝
三の朝は元旦のこと。年、月、日の始めの意。
めでたき松のけしきである。 ( №446 )
20.学問は 尻からぬける ほたる哉
聞いた端から尻へぬけてしまう学問は光っている蛍
みたいだ。
( №448)
21.蝉啼くや 僧正坊の ゆあみ時
最高位の僧正(ソウジョウ)がゆあみする折りしも蝉が心地よく啼い
ている 。
( №449 )
22.葛水に うつらでうれし 老が顔
中国や日本の文化が老いた姿を写して恥じたが、葛水(クズミズ)
は姿を写さないのがうれしい。老人も仲々悟れないものだ。
(№450)
23.涼しさに 麦を月夜の 卯兵衛哉
月の光の下、麦を打っているのは卯兵衛さんか。
月と卯兵衛に兎をかけたものか? ( №451)
24.痩せ脛の 毛に微風有 更衣
治療のかいあって生きのび、病後の痩せた脛に微風が心持
良く、生きている実感をしみじみ感じている。
25.歌なくて きぬぎぬつらし 時鳥
きぬぎぬの別れのあと、待っていた歌の便りも贈られてこ
ずに辛い気分に沈んでいる女。
26.牡丹散りて 打ちかさなりぬ 二,三片
牡丹は咲いている時こそ美しいが、落ちて重なり合った花
びらのドキッとする程色鮮やかで美しいこと、その気品を
落ちてきわだたせている。
27.牡丹有 寺ゆき過し うらみ哉
牡丹がみどころの寺なのに、うっかり通りすぎてしまった
無念さ、自分を恨んでいるところ。
28.尼寺や よき蚊帳たるゝ 宵月夜
尼寺に不似合いの上品なかや越しに尼が宵月をみている。
さだめし高貴の尼に違いない。
29.麦秋や 遊行の棺 通りけり
行き倒れ行脚僧の野辺送りする棺が麦畑の中を行く。
農作業の繁忙期の村人は手を休めて合掌している。
30.動く葉も なくておそろし 夏木立
かさりとも音のない森の中、なんとなく無気味なたゝずまい。
31.さみだれや 大河を前に 家二軒
芭蕉の「さみだれを集めて早し最上川」を頭に浮かべ
て作ったもの。芭蕉の句には人の姿は全く見えないが、
蕪村の句は川岸で寒々と暮す2軒の人物と人物とその
暮らし振りが浮んでくるようで、句をよむ作者の人間
の暖かさがにじみでているようだ。
32.けふはとて 娵(ヨメ)も出たつ 田植え哉
若妻も含めて家中、村中が総での田植えの風景、この
共同作業が苦しい日常を支えているのだ。
33.たもとして 払う夏書(ゲガキ)の 机哉
夏書き=通常4月16日から90日間僧侶が寺院に篭
もって、座禅、読経などの修行する夏安居のこと=その
期間に写経するのを夏書きという。
その日の夏書きを始めようとして机の上のわずかの塵を
袂でそっと払う女性の姿。
34.若竹や はしもとの遊女 ありやなし
意に添わない、でも客の意のまゝにが遊女の常。
京都八幡市になる橋本は古来遊里で竹の多いことで知ら
れている。今でも名だたる遊女はいるのだろうか。( №452 )
35.夏河を 越すうれしさよ 手に草履
炎暑のなか河を素足で渡る清涼感。
36.朱硯に 露かたむけよ 百合の花
朱硯は添削用、朝露を朱硯に傾けて落しておくれ。
37.涼しさや 鐘をはなるゝ かねの声
殷々と響いていく鐘の音をどこまでひろがっていく
のか、鮮やかにとらえた。
38.後家の君 たそがれ顔の うちわ哉
夕暮れ時、若い後家が愁わしげに団扇を使ってまこと
になまめかしい風情がにじみ出ている。
39.端居(ハシイ)して 妻子を避くる 暑さかな
堪えがたい暑さなのにうるさくかゝわる妻子に閉口
して団扇片手に縁先に避けている男のエゴともいえる。
40.あだし野に 行きあたりたる 花野哉
あだし野は火葬場で、その火葬場と華やかに咲きほこ
る花野の対称。やがて花野は枯れ野に一変するのだ。
その無常観が漂う。
41.負まじき 角力を寝もの がたり哉
負ける筈のない相撲だったのと秋の夜長にぐちる男。 ( №453 )
42.四、五人に 月落ちかゝる おどり哉
4,5人の踊り手と彼等を照らす月。 ( № 458 )
43.紅葉見や 用意かしこき 傘二本
( № 454 )
44.かくれ家や 菊のあるじは 白蔵主(ハクゾウス)
隠れ家で菊を育てていたのは実は年老いた狐が化けたも
のだった。
( № 456 )
45.しら菊や 庭に余りて 畠まで
白菊が庭からあふれ出て畠まで広がった。 ( №459 )
46. 己が身の 闇より吼えて 夜半の秋
秋の夜半の闇に吠える黒犬はまるで自分の心の闇の
ようである。
( № 457 )
47.きくの露 受けて硯の いのち哉
きくの露を受けて硯も一層寿命を延ばすことであろう。( № 460 )
48.よき角力 いでこぬ老の うらみ哉
昔は良い角力がいたのにと繰り言を言う老人。
私もいつの間にか同じことを語っている。
49.むし啼くや 河内通いの 小でうちん
大和から生駒山を越えて河内へ通う。虫鳴く夜道を
河内通いの男の小さなちょうちんの光が揺れていく。
50.朝がほや 一輪深き 淵の色
一輪の朝がおの中に藍の色の美しさが凝縮されている。
51.月天心(ツキテンシン) 貧しき町を 通りけり
天心は天のまん中のこと。月は頭上にあって、この絵
の中に入っていないその月に照らされる貧しき町。
その視点のすごさ。
52.三井寺に 緞子(ドンス)の夜着や 後の月
後の月(9月13日夜の月)を賞しに訪れる客に緞子の
夜着をだす。さすがは三井寺。
53.起きて居て もう寝たと云う 夜寒かな
夜寒に起き出すのが億劫だと断られた客も思わず苦笑い。
54.門を出れば 我も行人 秋のくれ
芭蕉の「この道や行く人なしに秋のくれ」を熟知して
いて作ったものである。芭蕉は妻子なく家をたゝんで
旅に出ることが出来たであろうが、蕪村は妻子があって
日々の生活に追われて旅に出る事などは不可能なのだが、
自宅の門を出ればふと自分も旅人になったような気分に
なれたのであろう。
55.去年より 又さびしひぞ 秋の暮
年をとるとその感慨に同感する。
56.身にしむや なき妻のくしを 閨(ネヤ)に踏む
亡き妻のくしを踏んだことで一人身となった孤独感が
一層身にしみる。まるで私小説の世界。
57.寒梅や 奈良の墨屋が あるじ顔
今から40年も昔になろうか、奈良の有名老舗の墨屋の
店頭でケースに入って、値段が付いていない墨の値段を
恐る恐る尋ねたところ、ろくに答えてもらわなかった事
を今でもまざまざと思い出すあのあるじのあの自慢顔を。
58.釣人の 情のこはさよ 夕しぐれ
夕暮の時雨も気にせずに、釣を続けるこの釣人の強情さ。
59.化そうな 傘かす寺の 時雨哉
寺が貸してくれた傘のあまりの破れぶりに、まるで化け
そうだと・・・
60.尼寺や 十夜に届く 鬢葛(ビンカズラ)
何やらいわくありげな句である。尼寺にびんかずらの用
はなかろうに。まるで源氏物語を彷彿とさせる。
61.こがらしや 何に世わたる 家五軒
木枯らしの吹くこの地に肩を寄せ合うように建っている
五軒の家、果たして何を稼業として生活しているのであ
ろうか。
62.古池の 蛙老いゆく 落葉哉
古池にとび込んだ「芭蕉の蛙」も年老いて落葉の下で冬眠
していることであろう。
63.落葉して しのび車の 響かな
王朝ものである。車は牛車、しのんで女のもとに通うが、
女の事も自分の事にも気をつかって車の音に神経質になっ
ている、物語の一節。
64.易水に 葱(ネブカ)流るゝ 寒かな
易水(エキスイ)とは史記列伝にある荊軻が始皇帝暗殺に出発するに
際し、易水のほとりで訣別の詩を残した場所の事である。
声に出して読むと誠に雰囲気がある。
65.住吉の 雪にぬかずく 遊女哉
大阪の住吉大社は遊女の信仰を集めた、祈る遊女の艶に
して又哀れな姿。 ( № 462 )
66.枝炭に 風をもどすや ひふき竹
枝炭に火吹き竹を吹くのと、枝炭がまだ枝であった時に
吹いた風を戻すのだと見立てたのである。 ( №461 )
67.寒垢離(カンゴリ)や 上の町(チョウ)まで 来たりけり
上の町は京都島原廓内の町名、この町まで寒垢離の行者が
廻って来た対比の妙。
68.物書て 鴨に換えけり 夜の雪
雪の降る夜、王羲之(オウギシ)を気どって物を書き鴨と交換した。
王羲之は鵞鳥好きで有名。
69.としひとつ 積もるや雪の 小町寺
小町寺は洛北の普陀落寺の俗称。庭に小野小町と四位
少将の墓がある。小町の歌に「面影の変らで年の積も
れかしたとひ命は限りありとも」を踏まえて句として
いる。小町寺に降る雪とともに年もひとつとって行く。
70.いざや寝ん 元日は又 翌(アス)の事
明日は元日、来年の事は明日になって考える事にしよう。