作者は20才で結婚、夫の会社が倒産、借金の返済の為にホステス、ストリップ嬢、AV女優として働いた。
統合失調症が悪化の為、自傷行為等によって入退院を繰り返し、その間漫画家としても
活躍したが、歩道橋から投身自殺を図って、顔面崩壊と片眼を失明した顛末を描いた
「人間仮免中」を刊行する。
今回その続きが刊行された。画風が大きく変り、見易さが増し、内容もやゝ大人しくなってきたようである。
障害者福祉施設に入居していた卯月は5年振りボビーと再会、67歳で退職した彼は刑務所の夜勤の仕事をしながら、卯月に送金をし続けていた。
25才離れた2人は一緒に住み始める。大量の薬品摂取している卯月は時折、垂れ流しの
状態を繰り返し、ボビーは懸命に介護する。
また料理好きのボビーは大量の料理を毎日作り卯月は85kgまで太っていった。
そんな卯月にボビーは「万が一、次に入院の可能性が生じたら一緒に死のう、わたしは
あなたをもう精神病院院に入院させたくない」と語る。
卯月はこれを聞いて「お母ちゃん、世の中に私より幸せな人っているかな。生き死にを
委ねられる人と居られるって、こんな安心することだと思わなかった」
とつくづく思うのである。
卯月の家にはご近所の年寄りが集まって来て酒盛りが始まる。皆、仏さんか実在か本人
達も分からない。解散する時はお経をあげる。途中で皆帰って行く。
そのあと残った2人で「冷や麦食うべ」「うめーな!」息子のシゲルからボビーに
「母のこと宜しくお願いします」と云われる。ボビーは流れる涙を止められない。
2人はついに入籍する。
本の帯に小泉今日子の言葉がある。「愛ってすごい、愛って尊い、卯月さんボビーさん
入籍おめでとうございます!」
番外編は3:11である。絵も内容も凄い。 人間賛歌とも云うべき作品である。
1997年4月1日から朝日新聞に連載中の4コマ漫画である。
登場人物は、母親の山田まつ子、横着者で家事仕事が嫌い、特に料理が苦手で、メニューを考えるのに何時も頭を悩ましている。買い物好きと昼寝好きで、押し入れや小屋の中に何でも詰め込んである。
父親のたかし、艦船建造(株)の雑務課長、趣味はゴルフと車の運転、そして何よりもの日曜大工、作る棚は物を乗せると落ち、人が座ると壊れる椅子等満足に使える物はつくれない。自宅は自分の働いたお金で建てたが、義母しげ所有の土地に建てたもので、その安普請の家について、しげから時々嫌味を言われて肩身が狭い。こわし屋たかし。
長男ののぼる。中学生、頭の程度は、並以下で平均点をとるの四苦八苦しており、試験の対応は常に山をかけている。仲々9人揃わない野球部でやっとレギュラーとなっており、三振王とエラー常連。
祖母のしげ、何にでも関心があり、家族の皆に呆れているところがある。特にまつ子にはほとほと呆れている。かなり厳しい皮肉やでもあるが、社交的な人柄。
愛犬ポチ、下駄、靴の収集家。散歩嫌い。不味いものはそっぽを向いて食べない。家族をバカにしているところがあって、いじけて、ひねくれた性格である。
伯父さんの山田よしお、たかしの将棋の好敵手キクチ食堂の店主と、存在感のある母親は通る子供に水をかけて楽しむ。
シルバー会の老人逹は様々な活動を行っており、一人暮らしの老人世帯の見廻りや、趣味の集まり等又ハイキング等も企画する等精力的である。
ののちゃん、山田家の長女、小学三年生、勉強嫌いの遊び好き、食欲の塊、好奇心と元気は人一倍、算数0点の常連。
同級生のスズキ君、久保君、キクチ君それぞれの人柄は出色のでき。
校長先生は校長室に居る事はほとんどなく、常に屋根に居るか小屋の修理かの大工仕事に明け暮れており、ただし朝礼の話は長い。
教頭先生はカイゼル髭を生やした謹厳実直を絵に描いたような人物。
女性担任教師藤原先生は27歳独身。いつも二日酔いで、自習の常連、二日酔いの翌日は機嫌は悪い。タブチ先生、気の良い肥った体育の先生。地域のヤブ医者広岡先生と皆それぞれ個性豊かな面々が生き生きと繰り広げる、日常生活が語られている。
いしいひさいちの「ガンバレ・タブチクン」と趣を同じくしており、「ガンバレ・タブチクン」の中の西武広岡監督は広岡医師に、タブチ選手はタブチ先生に、ヤクルト安田投手は安田先生にそっくりキャラクターが移行している。絵もうまい。
特に藤原先生に愛着を感じているのか「女性には向かない職業」2冊本では、小説を書いて文学賞を受賞し、小学校を辞めて小説家になった
藤原先生のハチャ メチャな生活を実に見事に作品化している。
No.885
1. 生徒達「どうしたんだ。センセ」。二学期早々きげんが悪い。
2. 藤原先生「しずかにしてください」
生徒「夏休みになんかあったのかな」「バカだなおまえ、何もなかったんだよ」
先生「しずかにッ」
3. 先生「自習です」
生徒「今日は始業式だけですけど、センセ」
4. 先生「あ、そうだったわね」
生徒「やっぱリ何かあったんだゼ」
〃 「よっぽど なにもなかったのさ」
No. 886
1. 生徒「あ、センセ、ヨーイ、ドンやってください」
藤原先生「え?お昼ごはんの休みなのに?」
2. 生徒「弁当の早食い競争の」
先生「えー。でもオカズもごはんもちがうのに競争できるの?」
3. 生徒「3人とも同じコンビに弁当」
4. 〃 「あっ、先生も同じだ」
〃 「ごいっしょに」
先生「しません!」
No.887
1. しげ「月曜やのに、のの子、学校は?」
のの子「ヒマだよー」
2. まつ子「運動会の代休よ」
しげ 「ああ、そうか」
3. しげ 「今日は私がシルバー会の運動会や」
のの子「オラーも行くー」
4. のの子「どうして土、日じゃないの?」
しげ 「なんがあっても病院の開いとるし」
No.1223
1. まつ子「いつのまにか、プロの選手もようけでるようになったんやな。
オリンピック」
のぼる「そうなんだよ」
2. まつ子「アマチェアの祭典としては中途ハンパな」
のぼる「まあね」
3. しげ 「ほんまやな、よう見てみ。一流のプロがオリンピックなんかに出てくる
かいな」
4. しげ 「ハンパなレベルのプロ競技会になっただけや、アホクサ」
No.2099
1. 大河原「山口くんは御在宅でしょうかな」(中年紳士)
しげ 「あ、ハイハイ」
2. しげ 「のぼる、お友やで」
のぼる「んなわけないだろッ」
3. しげ 「ほな、だれや」
のぼる「とうさんにきまってるよ。マッタクいいかげんな。」
4. しげ「あッ、たかしさん、戦友の大河原さんが。」
たかし「うなわけ、ありませんッ」
No.2103
1. のの子「ふじわら先生いた?」
キクチ、久保「保健室にも職員室にもいない」「どこふらふらしてんだろう」
2. 〃 「フジワラセンセー」
フジワラ先生「どうしたの?」
久保 「藤原センセがいないんです」
3. フジワラ先生「まあ、たいへん」
4. フジワラ先生「フジワラセンセー」
生徒 「まあ、たいへん」
No.2107
1. 広岡先生「どこも悪くありませんよ。キクチさん」
キクチのおばあさん「いいや、先生、そんなはずはない。このトシになりゃ、
どこかわるいはずじゃ」
2. おばあさん「さあ言うてくれ」
広岡センセ「心臓と言っても足の裏と言っても騒ぐんだ」
カンゴフ「ええ」
3. 広岡センセ「もう一度言いますよ。なんの心配もありません!」
4. おばあさん「本人には言えんのじゃ、わたしはもうアカンーーー」
カンゴフ「次の人」
No.2116
1. キクチのおばあさん「どうして空襲やのに灯りがつとるや」(TV)
食堂店主(息子)「ピンポイント爆撃だからですよ。あかあさん」
2. おばあさん「なんやしらんけど、けったくそのわるい。チャンネルかえるで」
ピッ!
3. ピッ、ピッ、ピッ(どこの局でもイラク)
4・ おばあさん「TVは無差別爆撃や!」
No.2121
1. まつ子「朝ごはんやで。ポチ」「みそ汁のおじややけど」
2. 〃 「やっぱりたべへんわ」 ポチ「プィ」
3. しげ 「たかしさんの残りかいな」
まつ子「いや多い目に作って」
4. 〃 「半分はお父さん食べてるけど」
通して読むと、冴えている時期と乗ってない時期が明らかにあって、それも又面白い。
武見武晴は4年間ある銀行の融資渉外係として中小企業を相手に営業活動をしていたが、銀行が合併することとなり、町工場や商店に対して金利引上や融資打切りかの瀬戸際で
地獄を見てきて、合併したらリストラが始まり年俸を下げられた。
そのうちに通帳をみるのも、CDとかATMとか見るのも嫌になり、電気料のメーターも
気になりだして、ノイローゼとなって入院させられそのまま退職となった。
彼は金も怖くなって、かむろば村に移り住み全く金を使わない生活を目指して農業に
つくことを決意する。空家と農地を借りて生活を始める。
様々な人々が彼の前に現われる。先ず村長の天野、頼まれゝば何でもやる男だ。
彼には若い美人の妻が居る。結婚前は男と同棲しており、その間におんごろ温泉の伊佐
旅館の女将奈津に頼まれて子供を生ませている。その子供は進で村長と瓜二つである。
これらは村中の皆が知るところだ。
村人は皆何くれとなく武の面倒をみる。何でも呉れるので武は村長の経営するスーパー
でアルバイトにつくが、レジを打とうとするが金をみて吐気がしてレジが打てない。
そのうち可愛いゝ女子校生と知り合い、やくざな親父の命令で金目当て(武は通帳に
680万円の預金を保持している)に接近したが、そのうち押しかけられた形で結婚す
ることになるが、は彼女にはヤクザの男がいてドタン場で都会に憧れる女高生はヤクザ
に乗り換えて去る。
なかぬっさんという老人がいるが、自分は神様だと云い、奈津の父親であると自称する。
進は孫に当るのだ。進が願うとザリガニが空から大量に降ってくる。
奈津にもその能力があるが、何も願わないようにしているらしいので神通力はみられない。夜になると三人の目が猫のように光る。マスコミが取り上げ観光客が押し寄せる。491人の村の今後を廻って農業か開発かを争点として選挙が行われると言った物語で、武は何とか村で生きて行く道を見つけるのだ。
今日的な問題を取り上げて作品としており登場人物も各々個性的である。
絵はぎこちなく決して上手とは言い難いが、それが各人物像とマッチしていて違和感が
ない。漫画でこのような問題を取り上げるのはむつかしい思われるが、何とか作品として
仕上がっているようである。
「深夜食堂」 安倍夜郎作 ビックコミック オリジナルで掲載され始めたもの。
営業時間は深夜0時から朝の7時頃まで「メニューは豚汁定食にビール、酒、焼酎それだけ、あとは勝手に注文してくれりゃあ、できるものならなんでもつくる」繁華街の片隅でやっている小さなめしや、そこに集う様々な人々を描いている。
深夜2時、注文する中年の男は刺身のつま、大根の細切りだ。小森只男という脇役専門の役者である。ある日巨匠黒川監督が10年振りでメガホンをとる。
その主役に何と脇役33年の小森只男が選ばれたのだ。しかし小森は過度の緊張から胃潰瘍で緊急入院し、またもとの脇役に逆戻りしてしまうが、娘の紗絵は大河ドラマの主役に抜擢された。
小森も父親役で出演が決まり、実生活でも娘の脇役に納まる。
「リバウンドの女王」まゆみが急にスリムになって皆を驚かす。ボビーズダイエットにはまっているのはお盆にクラス会があり憧れの人、バスケットの江本が来るのだ。
そこに美人が食堂に来店。冷汁を注文する。歌舞伎町でクラブをやっているそうだ。
まゆみと同じマンションに引越して来た人のところに男が顔を出す。
なじみの客だがハゲていて太っている。噂をすれば美人がその彼氏を伴って食堂にやってくる。みれば何と男はバスケの江本ではないか。
まゆみはボウゼンとして箸を落す。まゆみは今後一生やせることはないだろう。
サンマの季節で食堂でも注文が多い。魚の食べ方が一番へたなのはストリッパーのマリリンである。若い醜男の客の見事な食べ方に皆感心する。マリリンはメンクイでその男に関心がない。しかしオッパイの大きいマリリンは肩が凝る為にマッサージ師を知り合いから紹介される。それが魚の男でその腕前に惚れ込みすっかり親しくなる。
しかしマリリンは惚れっぽいがそれ以上に飽きっぽいたちで、果たしていつまで続くか、食堂の常連は皆でウワサする。
さて劇場で踊るマリリンは客に大サービス。魚の男は舞台に飛び込んで裸のマリリンに抱きついて止める。マリリンは「ストリップはあたしの転職なんだ。2度とやったら別れるからね」と魚の男に啖呵に切る。
「でもちょっとうれしかったよ」と呟く。食堂に集う皆はマリリンがすぐ飽きちゃうと思ったが、案外続くかも知れない2人なのである。
いき遅れの「お茶漬けシスターズ」3人の常連が今日も食堂に現われる。友人の結婚式の流れである。そのうちに、このなかの一人たらこ茶漬けのルミが母親の面倒をみる為に九州に帰って、お見合いもしたとの話である。年上の男と結婚するのをあれ程バカにしていたのに、男は10歳も年上だそうだ。
残された女2人のボルテージはあがる。ウメ茶のミキが病気で入院、シャケ茶のカナが親身に世話をする。
ウメ茶の元カレと、シャケ茶ができてしまって2人の女は掴み合いの大げんかとなる。
食堂のマスターは「女に友情ってないのかね」と嘆くと、シャケ茶のカナは「ないわね。この世に男がいる限り」と断定する。
しばらくしてとうとう一人になってしまった「お茶漬けシスターズ」だったが、ウメ茶のミキが食堂に現われる。「別れちゃった。どうしようもないわねアイツ」
シャケ茶のカナは「だから言ったでしょ」となぐさめる。二人の仲は元道りとなる。
九州に行っていたタラコのルミも戻ってくるそうで「お茶漬けシスターズ」は復活するらしい。
こうした日常的に行われている生活がさりげなく語られるが、マスターの立ち位置が非常によい。
客の話に深入りするでなく無関心でもない。常連客が居心地良く入り浸ることが納得できる気がする。
尚、小林薫主演で2作映画化されている
漫画業、中古カメラ業、古物業と手を出したが何れも失敗、本を読んで知識を仕入れた男は、多摩川中流域で競輪場の客が近道のためにボートで河を渡るのをみて、廃業したボート屋のあとを継ぐことを思い立つが、諸経費が予想外にかかる為に断念、ボート客を当てにして川原で拾った石を河川敷で売ることを思い立つ。
当然の事ながら売れる筈もなく、思い余った男は川渡し人足となって1人100円で客を背負って川を渡る。夕方迎えに来た息子は母ちゃんが「父ちゃんは虫けらだって」と語る。
多摩川河川敷で拾い集めた石を並べて売り始めた男は、石が美術品並に売買されていることを知り、愛石趣味の会長を訪ね、オークションに家族で参加するが、石は全く売れずに経費倒れとなる。
石を背負って帰ろうとする男に妻は予想したとは言え、あまりの結果に石を投げ捨てゝ泣き崩れる。
つげはインテリ対する反感が潜在しているようで、知識もまた一定の技術(この作品では男はマンガ家であるが注文を選り好みして仕事にならない)は有してもいてもプライドが高く、生きる気力も、現実に立ち向かう気も乏しく、自堕落な生活に沈湎する現状に、むしろ肯定的に受け入れているさまが巧みに表現されている。
私のサラリーマン時代の同僚にも、同様の男達が結構いて、大学時代が最も充実していて、そのあとの人生は政治にも文化にも、何に対しても興味を失って精神的には世捨人となって人生を送っているようで、この作品はこの本質をみごとに喝破している。
「無能の人」は竹中直人監督・主演で映画化されている。
つげ義春 1937年 葛飾区生まれ
1950年に小学校卒業後、中華ソバ屋の出前持ち、メッキ工場等の職を転々とし1954年マンガ家を志し、1964年9月三洋社社長長井勝一によって創刊された(白土三平のカムイ伝を連載する為に創刊した)ガロに1966年発表した「沼」「李さん一家」「紅い花」「ねじ式」等で熱狂的なファンを掴んだ。
大場鍍金の社長は1年前に肺病で死んでいる。工場長の金子も肺を犯されて工場の片隅に廃人となって生きていたが、まもなくこれも死ぬ。
そのあとはオカミさんと少年工の義男の2人で研磨の賃仕事で細々と生活している。
そこへ新しい職人が入ってくる。熟練工の三好である。三好が来て鉄砲の弾を磨くことになるが一日に最低5,000個は磨かないと仕事にならない。
割の好い仕事を求めてメッキも手がける為に硫酸を買いに行った義男は帰り道、自転車に乗せて一升瓶に詰めた硫酸を割って足に大ヤケドを負う。
何日か休んで工場に行ってみると、借金に追われたオカミさんと三好は夜逃げしており、一人残された義男は意味もない研磨を続ける。当時朝鮮特需があって日本経済も急速に立ち直って来るが、下請の工場にはその恩恵が廻ってこないのだ。
鍍金工場はクロム酸を大量に使用する為に多くの職人がガンに犯され死亡している。
つげは川端町(今の立石)の川端メッキで少年工として働いていた。大人の中に混じって働く中学生は孤独で大人の話に加わることもなく黙々と働いていたようである。
1960年代頃まで立石地域には多くの鍍金工場があって、廃液をそのまま流す事も多く自治体からの検査に度々引っかかり営業停止処分を受けていた。又、プレス工場も多く職人の多くは指を失くしていた。日本の高度成長の現実がここにある。
あるさびれた温泉地に中年男がやって来る。
湯治をする人は寿命の短い老人ばかり。街にたむろする老婆達から駄菓子屋を紹介されて天狗の面を買う。老婆の一人から「あんたはゲンセンカンの旦那にそっくりだね、まるでウリ2つのようだよ」と言われる。
耳と口が不自由で身内のない一人ぼっちのおかみさんが下働きの老婆と二人で経営する旅館のゲンセンカンにある男が泊まりに来る。浴室は混浴でおかみさんが入っている風呂に入浴させられた男は、誘われておかみさんの部屋に天狗の面をつけて侵入する。老婆は「2人はできちゃったわけさ」と云う。
ある男は現在もそのままゲンセンカンの主人に収まっていると云う訳である。
旅の男は「それではぼくはゲンセンカンに泊まることにしよう」と云うが、老婆達は「そんなことをしたらえらいことになるよ」と必死に止める。
ゲンセンカンの主人夫婦は嵐の中、天狗の面をつけて現れた旅の男をみて恐怖に戦く。
おかみさんは浮世絵風に描かれていて肉感的であり、ある男が強くひきつけられる事に説得力がある。
蒸発した中年男が宿屋の亭主に収まっていることは虚構の暗喩であり、そこへ元の現実の自分が現れる物語でつげは前世と現世、生と死、虚構と現実の相関関係というか、何から探ろうとしていたのかも知れないと後に語っている。
猟の為にこの地にやって来た青年は少女に出会う、少女はバアサマと義兄にネエの4人で暮らしており今日は皆留守で一人だと云いネエは終始以来寝たきり、青年を一日かくまってやると云う。青年はその家に泊まる。
鳥籠に蛇を飼っていて、たびたびはい出しては少女の首を絞めるのだそうだ。青年は夜中に起き出して少女の首を絞める。朝になって帰ってきた義兄は少女が青年を泊めた事を責める。青年は家を出て沼に立って猟銃を放つ。少女から大人になる境の独得の神秘性を有したエロティズムを巧みに表現していて少女と義兄の関係も何やらいわくありげでもある。この作品から以前と異なる作風にガラリと変わってつげの記念碑的な作品と云える。以前は白土三平に酷似した作風であった。
主人公はコヤシの臭いの残る郊外のボロ家に引越して来る。そこに朝鮮人で鳥語を話す李さんと一家がいて、主人公の住む2階に住みつく定食がなく怠け 者で、当然生活は苦しいグラマーな奥さんと2人の子供がいる。ドラム缶で五右衛門風呂をつくり、奥さんを入浴させるが、奥さんはのぼせて2人がかりで助け 出す。李さんはその後も2階に住み続けている。世の中から外されて苦しいが、又気楽な立場でもある李さんの日常生活を描いて後年の「無能の人」に続くよう な作品である。
人物描写と物語に極めてリアル感があり李さん一家があたかも実在するようで私小説を読む趣がある。
東京から海に泳ぎに来た青年はある美少女に会う。とりとめのない会話を交わしたあと少女は「明日も来る?」と尋ねる。翌日豪雨の中青年は少女を待ち続けるところへやっと駆けつけた少女にはげまされて青年は必死で雨の中泳ぐ。ビキニ姿の少女は「あなたすてきよ」と呟く。青春の一場面であるが風景の描写が凄い暗く陰鬱で特に開きの一面を使ったラストの豪雨の中の海は圧倒的であり不思議でどこか不幸な結末を思わせる感じを表現している。
渓流釣りにやってきた青年は茶屋で店番のキクチ・サヨコに会う。同級生のシンデンのマサジが釣場に青年を案内する。マサジは小学校6年生である。マサジは「サヨコのおやじがヨイヨイだからサヨコは学校を休んでばかりいる」と云い、サヨコは2年も留年しており、マサジはサヨコに何かとちょっかいを出す。マサジは青年を釣場に案内した帰りに、川で下半身を曝すサヨコを目撃する。川に赤い花が流れる。サヨコは初潮を迎えたのであるがマサジはよく理解できずに狼狽える。
マサジにとってサヨコは淡い初恋の女性なのである。「海の叙景」の少女と比べるとキクチサヨコの方がまだ幼く純真さがみえる。
マサジとサヨコの関係が実に抒情的に描かれている。
暗い空を大型機が飛ぶなか、異形の青年がメメクラゲに噛まれて静脈を切断され海からあがってくる。一刻も早く医者にかからねば出血多量で死ぬかも知れないと青年は必死で医者を探す。そこには人気の無い漁村であり、又金属を研磨する工場らしき場所であり、街中であり線路の上である。蒸気機関車がやって来るが狐の面をつけた少年が運転しており、列車は後戻りして元の町に帰ってきて街中の民家の建て混む露地に到着する。その間、街の人々や政治家とおぼしき人、金太郎飴を売る老婆等と不条理に満ちた会話をくり返す。やっとみつけた医者は婦人科の女医で、青年はいきなり女医と肉体関係に及んだ末、○×方式を応用した手術を受ける。青年の左腕にはねじが取り付けられており、以後ねじを締めると左腕は痺れるようになる。悪夢の中の出来事のようであるがこの不条理劇とさほどうまいとも思われない人物描写とこれでもかという程、精緻を極めた背景が巧みなバランスを形成しこの作品の世界を現出している。
蒸気機関車の絵と、街中に機関車が到着する絵はこの作品を確かなものにしている。この作品でつげ義春の評価は定まった。
「寄生獣」 岩明均著 P4/9~95/2号 講談社、アフタヌーンに連載。
ある夜、宇宙から謎の生物が路上に落下する。これは人間の脳に寄生し、神経を支配し、また食糧とする生物であった。地球の各地で人間への侵略が始まり、ズタズタに引き裂かれた死体が続々と発見されてくる。
主人公の高校3年生新一の右手に誤って侵入した寄生生物のミギーは右手に止まらざるを得なくなり、自己の生存のために、人間に寄生した生物達と闘わざるを得なくなるのだ。寄生した生物はその肉体を変化させて強力な武器と化して、人間を襲う。食糧としてだ。
やがて寄生生物は寄生する過程でそれぞれの変化をみせる。
狂暴化するもの、共存を図るもの、人間社会に同化しようとするもの、生き残るために様々な実験を試みるもの、人間と寄生生物の闘いが本格化して、やがて大詰めに。
その後の寄生獣達は過激な行動を避けて人間達との融和策をとり、共存共栄の道をとるのである。
作者のテーマが処々に語られる。「人間の数が半分になったらいくつかの森が焼かれずに済むだろうか」「人間の数が100分の1になったら流される毒も100分の1になるだろうか」ミギーの言葉「人間はあらゆる種類を殺し、食っているが、私の仲間達が食うのはほんの1~2種類だ」
高校教師田宮良子に寄生した生物は「わたしが思うに、ハエもクモもたゞ命令に従っているだけなのだ。地球の生物はすべたが何かしらの命令を受けているのだと思う」
「わたしが人間の生命を奪ったとき1つの生命が聞こえた。この種を殺せだ」「寄生生物と人間は1つの家族だ、我々は人間の子供なのだ」市長の演説「人間に寄生し、生命全体のバランスを保つ役割を担う我々から比べれば、人間どもこそ、地球を蝕む寄生虫ではではないか」繰り返されるこのテーマは地球上の生物には必ず天敵がいて、
調和が保たれているが人間には天敵が居ない為に地球が破壊されようとしている。人間にも天敵が必要なのではないかと云う問いかけでである。
現在の社会もいつ果てるとも知れない戦争、人種差別、原爆や原発で地球上の生物を破滅させようとしているようにみえる。
この作品で新一の右手に寄生するミギーは形も、その考え方も実にユニークで、可愛らしく、誠に愛すべき姿に描かれているのが出色で成功の鍵を担っている。
尚、寄生生物の肉体を硬化させてトラックに手を引っかける場面はキャメロン・ミッチエルのターミネーターⅡに出てきており、彼がこの「寄生獣」を読んでまねたのであろう。
最後に物語の中で題名の「寄生獣」の名はなく、寄生生物となっており、著者の考える寄生獣とは実は人間のことを指しているのではなかろうか。
「泥鰌庵閑話」
1971年1月号より1975年9月号の小説現代に連載された。
主人公泥鰌庵は漫画作家で、妻と幼い子供2人の4人暮らしであり昔風の縁側のある平屋の家を仕事場に持ている。
町会から消毒液を配りにきたハックンおばさん、毛色の変わった編集者たち、弟子入り志望の若者の(イ)仕事をする気があるのかないのか、夕食にウドンの煮込みをつくって一緒に食べて、翌日残りの冷えたウドンを又これもうまいと語りながら食べる。
泥鰌庵(ロ)ドジョウかナマズのような若者で、畳をブシ、ブシ、ブシと歩き、ウーフゥッ フウッフウッと笑い、いかんなーと呟き、そしてニターと笑い掴みどころのないキャラクターを見事に捉える筆力、連載に苦しみながら、ホテルに缶詰になるも結局は書けずにむなしく自宅に帰る泥鰌庵、は締め切りに追われながらも、居酒屋に入り浸る。
そこにはいつも酔っ払っては店から追い出される客や、飲むと必ず倒れるおじさんの客、半張りの靴が自慢の常連モリサダ、ワセダの漫研ミイ子の彼氏は2人で泥鰌庵の仕事に突然現われて、おじやをつくる。若い一団をどなる正義の中年男、頭を振るクイクイのタマガワ、そして自分は決して唄わない流しのマレンコフ、居酒屋から帰ったアパート、女の前で布団に醤油をぶちまける若い男等々。各々個性豊かな酒のみ達の人間模様が描き出されている。喧騒を極める居酒屋の内部、そこに居ることで安らぐ泥鰌庵。
泥鰌庵は新しく開店した居酒屋は特に気になって入らずにいられない。その内に食事も攝らずに2泊3日で飲み続けるのである。後半に入ると彼の飲み方は壮絶を極め、鬼気迫るようになる。
遅筆で知られた滝田ゆうは、この作品を描く為にエスカレートし寿命を縮めたのではないかと思うほどであり、傑作「寺島町奇譚」とはまた違って、彼渾身と作」と云えるのではないだろうか。
「寺島町奇譚」
滝田ゆうは昭和7年3月1日生まれ、昭和26年田河水泡の内弟子となり、昭和31年より10年間程、貸本屋向けマンガ本を描いていた。昭和42年より「月刊ガロ」に「寺島町奇譚」連載始まる。滝田ゆうのふるさとは(玉の井遊郭界隈)寺島町(現在の東向島)を舞台とし戦争の直前から東京が焼け野原になるまでの民主主義以前の明け暮れを小学生キヨシを主人公に描いている。
キヨシ一家は父母がバー「ドン」の営業を生活の生業とし、副業に不動産の仲介も行っている。やさしい祖母と家業を手伝う姉の5人家族である。家の中では何といっても母親が恐ろしい。言う事を聞かないとキセルの雁首で膝を打つ。これが痛いのだ。母親はキヨシを厳しく管理して決して放置しておらず、母親としての責任と愛情を失わない。当時の良く居た母親の典型を示してもいる。
キヨシは末っ子として朝起きると全員にあいさつをし、各自がそれぞれが家業を手伝い欠かせない役割を担っている。ゴミゴミとした街と狭い路地には「ぬけられます」の看板がそちこちに掲げられており、心やさしい娼婦たちと客達との哀しい出逢いと別れがあり、彼女達は不遇な自分達の境遇にも拘らず、皆やさしく特に子供達にはとりわけやさしい魅力ある女性達である。銀流しの男や酔っ払いのおじさんたちや下働きの女の子が織りなす下町の人生模様が克明に描かれている。子供達には独自の世界があり、小学生の高学年から未就学児童までを集めて遊ぶ。道路には肥桶を積んだ馬車が通り、汲み取りの時代である。
滝田ゆうの絵は詳細に描き尽くされ、畳の目まで欠かさない程であり又その記憶力の確かさにも驚嘆させられる。やがて空襲が始まり、玉の井も吉原も焼け野原となり、キヨシは地方に疎開し、焼け野原には移転先の立て札がそこここに立つ。
私は滝田ゆうの8歳下であるが当時の雰囲気は昭和30年代始めまで未だ残っており、家屋の多くは押縁下見という外部の壁をおおう横板張りで各板が少しづつ重なり会うように取り付けられていた。今探してもあまり見ることができない。
汲み取り、赤線、中年以上の女性の多くが着物を着用、子供達は多く路上で面子、ビー玉、シートを持ち歩いて貝独楽(ベーゴマ)に興じて町の一区画ごとに子供達のグループが確立しており、小学生、高学年が遊びと共に安全の管理も行っていた。つまり社会生活と訓練を巧まずして行っていたのである。
30年代半ば池田内閣の所得倍増計画によって古きよき時代は急速に失われていった。
私にとって「寺島町奇譚」は子供の頃の思い出そのまゝに強い共感を待って読んだものであり、最も愛読する一冊である。平成2年8月25日滝田ゆう没。
「王子の狐」から始まって「付き馬」まで38話を掲載しており、各々過不足なく忠実に書かれている。
滝田ゆう短編劇場「あいつ」
「昭和ながれ唄」「昭和ベエゴマ奇譚」
挿し絵入りのエッセーであり、内容は「寺島町奇譚」とほぼ同様の内容である。
滝田ゆうの作品は「寺島町奇譚」と「泥鰌庵閑話」が出色で以外の作品はそれ程でもなくこの2作がなければ今日に続く名声はなかったと思われる。
(イ)インストラクター豪士
主人公豪士は元傭兵で現在民間軍事援助組織に加入している戦闘インストラクターである。幼い4人姉妹は刑事だった父親が職権を利用、傭兵派遣、武器密輸で戦闘のプロ。ガーランドから200万ドルを強請りとるがその後死亡。ガーランドは200万ドル取り返しを図り、姉妹は豪士に対抗策を依頼する。特訓が始まり、マシンガンで武装、廃ビルを買い取ってたて籠もり、ビルの奥へ奥へと敵を引きづり込む。ガーランドはやがてその作
戦が豪士の手によるものと気がつくが、ビルは爆破されてガーランド一味は壊滅する。
(ロ)15年間の悪夢
海兵隊の訓練の同期、ダグラスは訓練中に次第に狂暴化してモンスターとなり、教官を殺害し戦地に行き、数々の武勲をたてるが残忍さは度を越し、同期生達が彼を殺害する為に現地に赴くが全員殺される。逮捕権を持つのが豪士と知って、殺しにやってくる。
豪士は爆弾を使ってダグラスを倒すが、戦闘訓練と戦争によって人間が怪物に変ってゆく恐ろしさを語る。
(ハ)5人の軍隊
ペンタゴンの中で陰謀が図られている。大統領から将軍達のリーダー
カイト将軍の手に核兵器使用の決定権を移そうという計画である。この計画がグジニャ中佐に漏れ、事件の全容と関係者全員がフロツピーディスクに残されて家族の手に渡る。グジニャ中佐は国家反逆罪で銃殺されようとしている。家族達は豪士に依頼、ディスクを大統領に届けようとする。マスコミの実況の中で、将軍達と豪士達の攻防が続き、ついに戦車まで出動するが、将軍達の計画は失敗しカイトは自殺する。登場人物にかっての上官、今は軍事博物館の館長のハリデー准将、豪士の要請で博物館の戦車に乗って参加。若く美人の狙撃主ジャネットは豪士の煮え切らないのに痺れを切らし銀行員と結婚することになったが豪士の急を知って結婚式場から、花嫁姿のまゝ車をかって駆けつける。敵方の好敵手コーン大佐等個性溢れる人達である。
(ニ)フォルショー通り
パリ フォルショー通りで娼婦たちが殺人現場を目撃。目撃者のうち3人は殺される。
国土監視局の局長と部下が犯人で、フォルショーの娼婦達を通り魔にみせかけて皆殺しを図る。娼婦たちは豪士をやとって対抗する。フォルショーの娼婦達を率いるバレンヌとこれといつもは対抗しているサンドニのマリーの協力により陰謀は粉砕される。
2人の女の心意気と格好好さ、肝の座り具合はまさに胸をすくようである。
(ホ)キング・オブザ・ロード
ロンドンのソーホー地区
怪しげなバーにポルノ小屋、外国人、遊び人、浮浪者等で昔からうさんくさい、文化や人種のごたまぜに煮込んだ街ではある。停年間近のピーター・ウイッグはスコットランド・ヤードの巡査部長であり住民からは「ソーホーの主であり、秩序であり良心である」と語られている人物である。20数年前に麻薬で逮捕されたラム・ロウは麻薬スキャンダルが政府、議会に拡がるのを恐れた警察と取引。麻薬の香港ルートの仕組みと、英国上層部との関りを明かすことを条件に自由の身となったが、世界最大の麻薬製造のボス、リャン将軍のルートに手を伸ばしたことから命を狙われる。5人の殺し屋が送り込まれ、警察上層部は見てみない振りだ。今は引退している70過ぎの元チャイナタウンの暗黒街のボス中国人3人は昔ウイッグに怒鳴りつけられたが、金に世辞をつかう人は多くとも、ソー
ホーの市民として自分達を扱うウィッグに深く感銘を受けており、密かに豪士に依頼してウィッグに協力。ウィッグは単身殺し屋に立ち向かうが、老人達の巧みな協力によってラム・ロウを救う。同期の警視監トニーは最後に警視総監を説得し辛うじてスコットランドヤードの矜持は保たれる。
他に(へ)無計画なライン沿岸の大工場乱立と流した有害物質はライン河の生態系を破壊、そこに巨大化学工場の建設が予定。反対運動は巨大資金に切り崩されゆく。
夫ベッカーは建設反対派の切り崩しに、妻ハンナは反対運動派に分かれる。
妻は豪士に夫を一度だけ投げ飛ばしてやりたいと依頼する。投げ飛ばされた夫はライン河を守る市民運動に加わるのだ。
全63話に良く準備された状況と、人間の様々な生き様が魅力的に語られている。特に数度に亘って登場するジャネットは可愛らしく、ハリデー准将は人に安心感を与えうれしい。豪士は物語の主人公ではなく、各ゝの物語に出てくる人達が主人公なのである。
非常に完成度の高い作品だ。
「グリンゴ」
グリンゴとは北アメリカ人をやゝ差別的に指す。メキシコスペイン語のことで、この物語ではよそ者の意味で使われている。
大手商社の新任支店長として南米の都市に赴任した日本人(ヒノモト・ヒトシ)は専務藪下の懐刀として切れ者のうわさが高いが赴任早々藪下は失脚、治安も最悪、資源も無い劣悪な小国へとばされる。不屈の男日本は執念でレアメタルの鉱脈を発見し、地方を支配するゲリラのリーダーと契約する。情報を流した恩人藪下は既に対抗する商社に移っており、この情報を元に日本政府はゲリラ基地を攻撃、日本は妻子と、無国籍の日本人、及びゲリラのリーダーと逃亡を図るが、リーダーは死に、日本一行は日本人集落に迷い込む、そこには戦前の日本があった・・・・・。
手塚治虫は時代物「日だまりの樹」の完成のあと「グリンゴ」を完成を待たずづに、1989年2月9日は逝去。グリンゴは未完の絶筆となった。
「人間昆虫記」
主人公十村十枝子が芥川賞を受賞するところから物語りは始まる。彼女は7年前に劇団テアトル・クラウの若手No.1の女優だったが、突然国際的な評価をもつデザイン・アカデミー賞を攫う。彼女は劇団に入るや劇団のメンバーの演技を次々と喰って脱皮して行き、トップスターの地位を得るや、演出家に近づいてそのすべてを吸収し、演出家になるや、真似した相手を破滅させてゆく。事情を知った三流週刊誌の記者を、アナキスト蟻川に殺させるが、小説の真の作者臼場かげりも蟻川に殺されたもので、蟻川は右翼の大立者唐山会の甲(カブト)の手先であった。
蟻川は十村(トムラ)に籠絡されて擒となり、首相暗殺計画の書かれた手帖を盗まれ、暗殺実行の直前に、この計画通りの小説「アナーキストの死」が十村によって出版され、計画は失敗、責任をとらされ蟻川は十村と韓国に逃げるが、十村の裏切りで韓国警察に暗殺され、十村も獄に入れられるが、鉄鋼大手の専務釜石に救い出される。
釜石に侮辱を受けた十村は、仕返しを計画。道楽で小説を書き同人誌に掲載された釜石の作品を上から目線で期待の新人と新聞に記事をかく。挑発された釜石はこれに乗って十村と結婚、家に閉じ込めて秘書を貼り付ける。
釜石は策をめぐらして社長の地位にのし上がるが、十村に裏切られて違法の証拠を甲に売られて自殺。写真家大和も十村に近づき、彼女の写真を撮って個展を開こうとするが逆手にとられて、その作品は十村の作品として発表される。
昆虫の中で他の虫とそっくりのものがあり、その擬態により身を守るように、様々な人物に近づき、その能力の総てを吸い取って相手を破滅させて、生きてゆく姿を描いている。
手塚は多分チェホフ「可愛い女」を読んでこの話を思いついたのではなかろうか。
「人間ども集まれ」
パイパニア戦争の中で主人公天下大平は兵役忌避者として大伴十士と共に脱走する。
米軍とおぼしき軍隊に捕まった彼は珍しい精子の所有者であることから、リーチ大尉にスペルマを吸い取られる。軍事用に第3の性を生産する計画のためである。女囚達は皆卵子を抜き取られている。逃げのびた大平と大伴はゲリラの女の家で実験を続け、試験管ベビーを育てる。これは男でも女でもないミュータントである。
やがて戦争は終り、ゲリラの女と結婚した大平は無性人間の未来の他に次々と無性人間を生産し続ける。呼び屋木座神は無性人間を使って商売を計画。諸外国へ無性人間を売り始める。木座神は小笠原諸島が昭和43年日本に返還されたのを期に南洋の島を買い取って独立国として大平天国ををつくり大平を総統にすえる。ここで戦争ショーを計画、日本政府と結んで観光地として売り出すことにする。ショーの当日、無性人間の叛乱が起こり、木座神は自殺。戦争ショーは失敗する。世界各地で無性人間の反乱が開始される。
翻ってみて沖縄の現状を考えると日本政府のやり口はこの物語とほとんど同じであることが分かる。
手塚治虫は現在の日本人に警鐘を鳴らしているようにみえる。
「時計仕掛けのリンゴ」
天竜川の中流近くにある稲武市はキャンベラ時計が新工場を建てたことから、南からのハイウエィが整備され都市化がすすんだ現在人口4万の山間の小都市である。
時計工場の経理マン白川は朝起きていじょうに気づく。始発から電車は止まり、新聞は唯一紙朝毎しかいづれの家にも入らない。ラジオ、テレビも雑音だけ、ハイウエィを南にとばすと通行止めにあう。その先には自衛隊の戦車が見える。工場の女子社員が倒れて、会社の食堂でカレーライスを食べて気分が悪くなったという。白川は食堂の米を薬剤師に調べさせると、劇薬ピューロ・マイシンが多量に混入されていたことを知る。
この薬を投与されるとボケると云う。白川家は3度の食事がパン食の為に薬害を免れたの
だ。町の人々は目にみえて無気力となり、白川の行動に気づいた自衛隊のリーダーは彼を捕らえて協力を依頼する。この事態は自衛隊の反乱軍の本番前の予行演習だと知らされる。残る頼りは白川夫人のみとなり、四方は山々に囲まれ、道路は封鎖されて窮余の策として町の養魚場のコイにコールタールで「センリョウサレタタスケテ」のSOSを書いて大量に下流に流す。反乱軍の捕獲を免れたコイが下流で釣り糸にかかり、自衛隊が反乱軍鎮圧にのりだす。首都制圧計画が頓挫した反乱軍は町の人々を人質に自衛隊と取引し、自分達を国外に出国させるよう画策するが、雨の降りしきるなかリーダーは落雷で命を落し、リーダーを失った反乱軍は鎮圧される。
町の人々の回復にはかなりの時間がかかるであろう。
どうしてもこの物語はオウム事件を思い出させるのである。オウムは自衛隊の中に信者を積極的に獲得、数百人の信者をつくっていたようである。又進撃砲を始め、カービン銃などの銃器も多量に確保して、ヘリコプターまで用意していたという。
もしサリンを大量に生産し、ヘリコプターで上空から脅かし自衛隊内の信者を使って、自衛隊を武装解除するよな事態が容易に予想できるのである。
地下鉄サリン事件は予備演習であったと思えなくもない。
まさにクーデター計画がもしかして練られていたのではと・・は私の妄想ではあるまい。
「上を下へのジレッタ」
漫画家のアシスタント山辺は、演出家門前の所属歌手であり山辺の婚約者でもある。
晴海なぎさの件で争いとなり、工事現場の穴へ転落する。その穴は塞がれて山辺は工事現場の床下に閉じ込められる。そこで山辺はジレッタと呼ばれる妄想の世界に入り込む。
東京中の音が東京の空の上で渾然と合流して不可思議な音となり、工事現場の鉄柱がそれを吸い込み、地下に伝わって、山辺の頭の中に入り込み、脳細胞をくすぐり妄想を起させたのである。3ヶ月後配線工事で作業員が床下にもぐり込んで山辺を発見、山辺は危篤状態でジレッタと呟きつづける。医師は山辺を工場現場の床下に連れて行く。
現場に寝た山辺に聴診器をあてた医師はジレッタの世界に入り込む。聴診器をあてた人間は、誰でも山辺の妄想の世界に入り込むが、やがて聴診器なしでも伝っていくのである。門前は山辺の妄想を商売に使い、巨大なジレッタ館をつくり驚天動地の大賑いとなる。
山辺の婚約者晴海なぎさの死に直面した山辺は、世界なんてどうなってしまっても結婚だと語る。
1時間のジレッタ「地球最後の日」が超満員の観客の前で始まる。山辺が自殺する気でジレッタを操るのではと門前は恐れるが、門前の危惧したとおり、月と地球は衝突するのである。人間の妄想を自由に操ってついには地球を破滅に追いやるジレッタの凄さ。
手塚治虫の窮極の作品ではないかと思う。
「一輝まんだら」
2・26事件のきっかけをつくった国家社会主義者、北一輝 本名輝次郎の伝記である。
当初漫画サンデーに約半年連載されたが同誌の性格が変わった為に、一時中断している。
「ばるぼら」
路上に生活する排泄物のような女、不潔でだらしなく、大酒飲みであるこの女に作家美倉洋介は出会い、自宅につれてくる。女はだらだらと居座るうちに美倉は書く作品はヒットを続け、人気作家となっていく。彼女は魔女だったのだ。この女バルボラは以前にも100人以上の音楽家、作家、画家などにとりつき、悉く成功させ、そして破壊させてきた。ある時バルボラは見事な女性に変身、美倉は彼女と結婚する気になるが失敗バルボラは彼の前から姿を消す。美倉の転落が始まり、数年後、数年後バルボラを発見連れ帰ろうとするが、彼女は美倉を覚えていない。強引に連れ出し逃げるうちにバルボラは美倉の命が後数ヶ月しかないことを告げる。時間がきて、事故を装うためにトラックで追い回されることになるが、トラックはバルボラを誤って轢き殺してしまう。美倉は最後の作品として「ばるぼら」を書くが住む小屋がヒッピーに焼かれ、ヒッピーの手によって世に出るや売れに売れるのである。美倉の生死は定かではない。バルボラは依然として世に出没し続ける。美倉は生死は定かでは。バルボラは依然として世に出没し続ける。現実に何の取り柄もないようにみえる女性が福をもたらすミューズの神の如き存在となっている例は数多くあるし、社会的でも能無しと思われる人物がラッキーカードであったりする例も又多いのも事実である。バルボラという女を巧みに創造した作者には感服する。
「 IL 」
時代の変化に取り残され、売れなくなった映画監督伊万里大作は借家も追い出され夜の街を歩くうちに占い師に出合い、家を紹介される。高台に立つ古い洋館で、そこにはドラキュラ伯爵を始めとする亡霊が居並んで迎え、この家も、金も、役者も提供される。その女優がILである。ILは思うがままに容貌姿を変え大作の指示のままに様々な要望を持つ依頼先に派遣され、不思議な出来事の数々に出会うが、一連の依頼仕事の後大作の前から姿を消す。依頼者達の不思議の数々が面白い。
「 奇子 (あやこ)」
昭和24年1月に話は始まる.
東北のかっての大地主、天外家の絶対的権力者作右衛門と遺産欲しさに妻のすえを父に人見御供に提供する長男の市朗、次男の仁朗はCICのスパイから暴力団のボスとなり。長女の志子は左翼活動家の恋人を殺され、自身も活動を続けている。三男の伺朗は頭がよく、醒めた目が、家族の姿を観察しており、次女の奇子は作右衛門とすえとの不義の子供というおぞましさに満ちた人間関係にある。
GHQのスパイ仁朗は命令どうりに志子の恋人革命政党の支部長の殺害後の死体を列車に轢かせる仕事の後、死者の血がついた衣服を自宅の台所で洗濯するところを白痴の下働きの涼子と3歳の奇子に目撃されたことから、口封じに涼子を殺害、警察の聴取が奇子に及ぶのを防ぐ為に、親族一同で蔵の中に閉じ込めて、戸籍は死亡として台帳に記載された。
作右衛門は倒れるが遺言があると連れ合いは言い、奇子が15歳になるまで、開けないという事。奇子15歳の時、作右衛門の枕中から取り出された遺言状には奇子の母親(すえ)に8割の遺産を残すとあり、親族は皆驚く。すえは市朗に離婚届をつき付け、奇子を連れて出て行くと宣言、市朗は遺産欲しさにすえを殺害する。
22年間土蔵の中で生きてきた奇子は、長年彼女に金を送り続けてきた暴力団のボス祐天寺、実は仁朗に合うために家を探してたどり着く。外界と隔絶した世界に生きてきた奇子は奇行を繰り返し、現実世界に順応できない。殺人罪で逃亡し仁朗はを天外一族は金の為に裏の炭の貯蔵穴にかくまう。穴の中一族は争い、伺朗がハッパを一発投げ込んで全員生き埋めとなって、2週間以上が経過、発見されるが奇子のみが無事な姿で生き残るがその後の消息は不明となる。
手塚治虫は「奇子」をカラマゾフの兄弟のような人間模様を書きたかったと述懐しているが作右衛門はまさにフョードルを髣髴とさせるようである。私には五味川純平の「人間の条件」をも連想させるようなドラマであるようにも思える。
緊迫した政治、社会情勢と昔ながらのおぞましい家族関係が巧みに関連しながら進行し、各登場人物がそれぞれ個性的に魅力的に書き分けられていて、手塚治虫の代表作ではないだろうか。奇子の書き方が未消化の感がするが、奇子が主役ではなく天外家の家族と社会が主体である事からこれでも良いのかも知れない。
(2015年3月14日)
昭和40年代の後半に勤務先の保養所で据え付けられた書架に備えられた「白いパイロット」を読み、その構想の雄大さ、ヒューマニズム溢れるストーリーに魅了され、その後作品を読み続けた。「鉄腕アトム」「ブラックジャック」三つ目旅の末裔、常識を越えたキャラクター、写楽泡介の奇想天外なストーリーの「三つ目がとおる」地方の豪族醍醐景光によって自分の出世の為に子供の身体を魔神に売り飛ばされた為に身体の48ヶ所を失い、魔物を1つひとつ倒すことによって取り戻してゆく少年剣士、百鬼丸の物語である。
「どろろ」は人間は悪と戦うことによって真の人間となることを我々に教える。
世界中の昆虫が突然一斉に人間を襲う、人間の自然破壊に警鐘を鳴らす「ミクロイドs」。子供の性教育をテーマにした「ヤケッパチのマリア」。
ギリシャ・ローマ時代から卑弥呼、ロボットの未来社会まで書き続けた畢生の大作、大叙事詩「火の鳥」。手塚治虫はやがて子供の世界から大人向けの作品を書き始める。
公害問題と本格的に取り組んだ「きりひと賛歌」。
ある大学医学部教授小山田は徳島県犬神沢部落に発生した原因不明の「もんもう病」で死者223例の現地調査に入る。
第2内科医長の竜ヶ浦博士の考えは伝染性病原体によるものと判定していた。症状はすすむと犬かたぬきのようになってしまい、呼吸麻痺を起して死亡するもの。
小山田は現地調査を進めるうちに「もんもう病」にかかり、犬に変るのである。ガンとして自説の伝染病説に固執する竜ヶ浦は犬神沢産の水を愛用していた。今まで何度も分析されたが何ひとつ発見されなかった為である。しかし竜ヶ浦は「もんもう病」にかかるのである。
外国からの事例が報告され同様の症状と原因が公表され、犬神沢産の水を詳細な分析の結果希土類という鉱物のグループでほんの少しづつ放射能を出しながら変質してゆく性質を持つことが判明する。人間の科学の力では自然科学も制御できない。福島の原発事故はこの作品を桁外れに収拾つかない事態として私達の前に現実に突きつけたことを今更ながら思うのである。
「MW」
60年安保と70年安保の谷間、フーテン達のチンピラ連中がフーテン王国を築くべくある島に乗り込んできた。そこは貧しく純朴な村と、外国の軍事貯蔵庫があるだけ、彼らはそこから目ぼしい物を盗む計画であった。この物語の主役の一人、賀来は美少年結城美知夫と出会う。彼らは泥棒の後陣として洞窟に待機、ここで惨劇がおこった。貯蔵庫に納められていた極秘化学兵器MWと呼ばれるガスが漏れた為に島中の人間、鳥、家畜も一斉に死滅してしまったのである。生きのっこった2人、結城はやがて、その美貌と並外れた才能で悪の権化となり、神父となった賀来を同性愛で取り込み、やがて結城はMWを手に入れ航空機を乗り継いでギルバート諸島の隠れ家に、そこでMWを分析して材料を集め、大量生産、地球上の人類を全部死亡させるのに50万トンのMMガスが必要で、これを作りつつ結城が死を感じたとき、スイッチを押す。計画は賀来がMWを抱いて海中に沈み、計画は失敗するが、結城は人知れず行方をくらます。
この作品後オウム事件がおこるが私には生き残った結城がインドで修業して朝原彰光となる。続編があるように思われる。
私見であるがオウム事件はクーデター計画であったのではないかと思われる。麻原の後には権力者の影が見えるのである。